Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【 本 】明日から本気出す()の恐怖-『タタール人の砂漠』

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

 目の前に広がるのは茫漠たる砂漠。なぜ、こんな辺鄙なところに国境警備の砦があるのかと、新人将校ドローゴは不審に思いつつも着任します。どんな必要があり、守備を行っているのか先任のひとびとに尋ねると、砂漠の果てには異民族のタタール人がおり、彼らがいつか大挙して襲来するかもしれないとのこと。今、これを話している瞬間にも敵は攻めてくるかも知れない。だけど、これまでにそうした事実は一度もないと言います。

 とんでもないところに来ちまったぞ、とドローゴは仮病を使ってでも町に帰ろうとしますが、ここで野心が頭をもたげます。今まで一度も攻めてこなかったタタール人が、何かの弾みで砦に押し寄せれば、これは勲章ものだぞ、と。彼は砦に残ることを決意し、その日が来るのを待ち構えます。町にいる友人たちが家族を持ったり、出世したりするなかで、ドローゴはなすべきこともなく砦に暮らします。一〇年、二〇年……と。

 先任将校たちは、今年こそは何かあると言い続け、決して砦を離れません。ふとしたことが異民族たちの訪れのように感じられますが、それもただの空耳だったり。望遠鏡を使っても見定められないずっと遠くに何やら見慣れない点々があるような、ないような。もはや、タタール人の襲撃は可能性の問題ではなく、砦を守る軍人たちの強迫神経症の産物であり、それが砦全体を厚いベールで覆ってしまっているのでした。

 冗談で一回だけのつもりで買った宝くじ。それが、次は当たるかもと二度三度。でも、ある日、これまでの購入金額の大きさに腰を抜かします。これだけ投資してきたんだから、当たらないではすまない、洒落にならない。次こそは当たる、当たるはず、当たらずには済ませるものか、当たってちょーーーっ!!!やめられないとまらない、まさにかっぱえびせん状態。ちなみに、わたしのことじゃありませんよ(笑)

 いつまでもあると思うな親と金といいますが、これに「時間」も加えたほうがいいでしょう。とくに若いうちは、まだまだ人生五〇年、ことによったら六〇年くらいあるぜ。一、二年、だらけていたって大丈夫、と思いがちです。でも、わたしたちが「ドローゴ」になってしまうのなんて、あっという間。時間がいかに貴重なものかを知りたいひとに読んでもらいたい、というか読ませたい。

 この物語は、年を取れば取るほど、読んだあとの胸の底にたまる淀みがハンパないと思います。薬だって、若い体力があるときにこそ劇薬が使えるのであって、年を取ってからでは薬負けしてしまいます。2ちゃんとかで後味の悪い映画や小説の特集とかたまにありますが、どうしてこの『タタール人の砂漠』が入らないのだろう、と不思議に思います。良薬は口に苦いけれど、効果があるのも事実。イタリア文学です。

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)