Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【雑 文】夢っていらないでしょ? いやいや、夢って大事でしょ?

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少し前に、タモリさんに関するこんな記事がネットに流れました。
ちょっと長いですが、全文引用。 

タモリが夢を持つ生き方を否定「夢があるようじゃ人間終わりだね」

10日放送の「ヨルタモリ」(フジテレビ系)で、タモリが「夢を持つ生き方」について持論を展開した。

同番組では架空のバー「WHITE RAINBOW」を舞台に、宮沢が扮するママと常連客、そしてゲストがトークを展開する。タモリ岩手県でジャズ喫茶を営む「吉原さん」として登場した。

番組では、タモリがゲストのSMAP草なぎ剛に、「ジャズな人」とはどういう人かを説いていた。タモリは、向上心がある人とない人を、「今日が明日のためにある」「今日が今日のためにある」とそれぞれ区別し、「ジャズな人」は後者にあたると説明した。そして「向上心イコール邪念ということだよね」と言い切っている。

草なぎが「人って夢のために頑張るっていうじゃないですか?」と問うと、タモリは「夢があるようじゃ人間終わりだね」とバッサリ。

草なぎもタモリに同意を示し、「それを美徳としてる感じあるじゃないですか?」「夢に向かって頑張ろうぜみたいな。じゃ、叶っちゃったらどうすんのって話で」とこぼした。草なぎは小さい頃から芸能界で仕事をしているため、早い時期から夢が叶ってしまった部分もあるのだという。

タモリは「夢の達成される前の期間は、まったく意味のないつまんない期間になる」と指摘し、そうした人生を「悲劇的な生き方」と断言してみせた。さらに「夢が達成されなかったらどうなるんだ?って話だよね」とも口にした。

タモリによると、一芸を成し遂げた人は、何かに夢中になっていただけのことだという。「そういう人たちは夢を持ってやってたかっていうと、そうじゃないよね」と鋭く迫っている。

 

この記事に対して、後日木村拓哉さんが「やっぱり夢は大事」だとコメントしたとか。夢があるからこそ、ひとは頑張るんじゃないか。叶った夢はストックされていくから、振り返ったときに良いものだと思える。そんな趣旨のことでしたよね。

木村さんのコメントに非難するようなところがあるわけではありません。むしろ、木村さんらしい男らしいコメントです。しかし、夢を持つことの危険性だってあるんだぞ、ということを改めてわたしは言いたいです。

 

ひとの世にあるものすべては、必ずメリットとデメリット、両面の顔を持ちます。このことを忘れ、ひとつの価値観に盲信すると、それはたとえば、原理主義と呼ばれたり、ファシズムナショナリズムというかたちに変質します。

どんなことでもそうです。このことに例外はありません。

「この世に「絶対」であるものは絶対にない」という「絶対」の言葉の自己言及的矛盾をやや茶化した言い回しがあります。

しかし、「生物は死を免れない」と「諸行無常」と、この「この世のすべては(少なくとも)二面性を持つ」ということだけは「絶対」という言葉にあてはまるとわたしは考えています。

 

過去に「目標を持つことの危うさ」について書いたことがあります。 

just-melancholy.hatenablog.com

 

わたしの書いた「目標」は夢と言い替えて差し支えありません。

「夢が達成されなかったらどうなるんだ?」とタモリさんは言いますが、実は大事なポイントはその前なのです。

「夢の達成される前の期間は、まったく意味のないつまんない期間になる」

夢を持つと、ひとの人生は夢との比較でしか価値を持たなくなります(難しく言うと、相対化といいます)。夢に近づいているから人生に価値がある。夢から遠ざかったから人生に意味を見出せない。そういう感じのことです。
少なくとも夢の達成される前の期間が楽しいと思えるのは、夢に近づいている(に違いない)という自己暗示です。

 

しかし、ひとの生きる一生はそんなに単純なものでしょうか。

たとえば、自分に子供がいたとして、その子が大きくなってスポーツ選手になろうが研究者になろうがそれは子供自身が選べばいいことです。そんなことよりも、とにかく健康にさえ成長してくれればいいと願い、おいしい食事を作り、子供の成長を楽しみにする「親心」には価値がないでしょうか。

子供が健康に成長することを願う気持ちを「目標」とか「夢」とかいうのは、ちょっと強引でしょう。一日一日を大事に過ごすことで、いつかこのことが「何か」になる。そういう気持ちが現代人からは失われています。

 

わたし自身、創作で文章を綴るのが好きです。
もしそうした趣味で文章を書くひとたちが、何の賞も取れなければ、一冊の本にもならなければ、その書くという行為から意味がなくなるのでしょうか。

好きだからこそ毎日30分、あるいは週末だけでも書き続け、いつかこれが「何か」になると思えることはとても素晴らしい心ばえだと思います。

本当に書籍になって出版されるかもしれません。あなたの文章をたまたま目にしたひとが励まされるかもしれません。悔しいですが、あなたの文章からアイディアを得たひとがこの世を変えるくらい素晴らしい小説を書くかもしれません。

 

あらゆるものには二面性があることをうえで書きました。
もちろん目標をもって頑張ることが悪いのではありません。
今の世の中が、あまりに「夢」のある人生、「目標」のある人生、一辺倒になっていることが危険なのです。
世の中全体が打算的になる危険性を孕んでいますし、夢を持たずとも毎日を一所懸命に生きるひとの努力を丸々無視することになります。

某牛丼ショップは、店員を粗末に扱い、信用を一気に失いました。
売上「目標」を持つと、一人ひとりの従業員を大事にすれば、いつか大きくなるとは考えません。会社の収益「目標」が達成されなければ、経営者の人生に意味がなくなると言わんばかりの途轍もなく歪んだ論理がそこには構築されるのです。

 

大事なことは夢を持つことのメリット、デメリットを頭に叩き込んだうえで、夢を持つも良し、夢を持たぬも良しということです。

タモリさんはそこまで達観されたうえでの意見だと思いますが、木村拓哉さんは恐らくそこまで考えていないでしょう(偏見かな?)。

 

過去に「時間は大事だぞ~」ということを前面に出して書いた文章があります。しかし、この『タタール人の砂漠』という小説は、ひとりの男が夢を持ってしまったがゆえに、それに取り憑かれ、人生を丸々無駄にする物語でもあるのです。

「夢が達成されなかったらどうなるんだ?」ってことのひとつの答えがここにあります。 

just-melancholy.hatenablog.com