【 本 】近親相姦はどこまでならセーフ、どこからアウト?-『1面トップはロボットアニメ』
朝日新聞の名物コラム
朝日新聞に「小原篤のアニマゲ丼」という週刊コラムがあります。
マンガ・アニメ界隈のそのときどきの話題を中心に、作品紹介、作品解釈、背景事情、ついでに邦画紹介などもある、とても面白い読み物です。
最初は月一ペースでしたが、世紀末1999年からの連載開始以来、実に15年以上にわたって続いている名物コラムです。
今日はその2007年11月5日から2012年10月1日までの記事をまとめた『1面トップはロボットアニメ 小原篤のアニマゲ丼』をご紹介……と思ったのですが、そのなかの「都庁のひとに聞いてきた」をとくに取りあげようと思います。
「東京都青少年の健全な育成に関する条例」
著者であると同時に新聞記者でもある小原さんが都庁のお役人に何を聞いてきたかというと、どんな強姦・近親相姦表現だと法律に引っかかるかということ。
表現界隈のひとであれば、おおいに興味惹かれるテーマですが、さすがにみずから役所へ出かけ、具体例を持ち出し質問なんてできません。それをみんなを代表してやってくれたのが、小原さん。えらい!
いきなり本題に入る前にその背景をちょっと。
ここは飛ばしてもらっても結構ですよ。
1964年に制定された「東京都青少年の健全な育成に関する条例」。最新の改正は2010年に行われました。このときの目玉が、8条1項1号と2号。1号が強姦表現、2号が近親相姦表現について、それぞれ処罰の対象になることをうたっています。
当時は、政治家、学者、マスコミ、文化人、そして表現の先端に立つ出版社、アニメ制作会社、漫画家、ゲームメーカー、同人関係者までをも巻き込んだ大騒動に。
表現者にとっては、広範な表現規制となり、何も描けなくなってしまうのではないかという恐怖。オタクコミックの雄・角川書店が東京国際アニメフェアをボイコットしたのもこのときです。
2011年には、松山せいじ『奥サマは小学生』、オジロマコト『恋人8号』、花見沢Q太郎『花日和~花見沢Q太郎自撰集~』などの諸作品が、規制対象候補に。これは見せしめ以外のなにものでもなく、たまたま吊るしあげられた作家さんは気の毒、という声が多かったです。
ケーススタディ
とまあ、当時は大いにすったもんだしましたが、こうしたことが可決する前に小原さんが都庁へいって具体例を挙げて質問してきました。
それでは以下、その内容をご紹介。
【設定A】タブーを犯す快楽を賛美しながらセックスにふけるきょうだい。しかし実は血がつながっておらず、きょうだいではないが、そのことを誰も知らない、あるいは知らせないので、二人はこれが近親相姦だと思い込みながらセックスを続ける。
- セックスをするふたりが、民法で婚姻が禁止されている近親者でないことが作品のなかに書いてあればOK。
- 女の子が「おにいちゃん」と呼んでいても、「幼いころによく遊んでもらった近所のおにいちゃん」と書いてあればノープロブレム。
そもそも他人同士の合意のエッチなのだから、問題ないということですね。
それにしても「きょうだい」という綴り。兄妹、姉弟だけでなく、兄弟、姉妹、すべてここに含まれるのでしょうか。
アッカリ~ンのお姉ちゃん、妹のパンツかぶっている場合じゃありません。
【設定B】仲よくセックスする男女。本人たちは知らないが、実はきょうだいである。そのことを誰も知らない、あるいは知らせないので、二人は普通の男女のようにセックスを続ける。
- 「これは近親相姦にあたります」
この冷静な返し、いいですね。有無を言わせない感じ。
当事者同士がどう感じていようと、実のきょうだいならアウトです。
【設定C】母が不倫をして生まれた娘と、その不倫相手が妻との間に作った息子。二人は腹違いのきょうだいだがセックスをする。戸籍上はきょうだいではなく、結婚もできる。
- 戸籍上は他人だが血はつながっている、と作中に書かれている場合は、近親相姦にあたらない。
- 刑罰法規や民法に違反していない場合は、処罰の対象にならない。
ところが、血のつながったきょうだいであっても、戸籍上、他人であるなら、エッチは処罰の対象外? これはいいことを聞いた!(何が?)
【設定D】母の愛人だった男とセックスをする女。血のつながった親子の可能性が高く、二人ともそれを承知していながら背徳的なセックスにおぼれる。本当の親子かどうかは作品内では明かされない。
- 「あたらない。劇画にありそうな話だな」
担当者の「劇画にありそうな話だな」にツボりました。
なに、冷静に批評してるんだwww
【設定E】嫌がる女性をムリヤリ強姦する男性。しかし結末で、それは強姦のフリをして二人が「陵辱プレイ」を楽しんでいた、と明かされる。
- 刑罰法規への抵触が前提。合意のうえなら強姦にあたらない。
プレイが処罰の対象になったら、猫耳プレイは獣姦、スク水プレイは淫行、SMプレイは拷問、ってなことになっちゃいます。
【設定F】仲よくセックスする男女。実は、女には「本心とは正反対の言動をしてしまう」魔法がかけられており、男を喜んで迎え入れていた言葉やしぐさは、本心とは正反対のものだったと結末で明かされる。
- 強姦にあたる。女性と性交するために麻酔をかける、というケースに似ていると考えられる。
ここもツボでした。「性交するために麻酔」、そりゃもう「犯すために薬物使用」とでも言ったほうが。
【設定G】ある男の妻と娘の人格が事故で入れ替わり、「体は妻だが人格は娘」の女aと、「体は娘だが人格は妻」の女bが存在することになった。aとのセックスは近親相姦にあたるかあたらないか? bとのセックスは近親相姦にあたるかあたらないか?
- モラル上はどちらもいけないが、条例に抵触するかは議論の余地がある。
犯しているのは、肉体か魂か。こういうことこそ、表現者が挑むべきテーマなわけですが、これを法律でバッサバッサ切られてしまうと、あとには毒にも薬にもならないものしか残りません。
こういう曖昧なものがあるとわかっただけでも勉強になりました。
以上とは別に、こんな質問もありました。
上下巻分冊の場合。
- 上巻で近親相姦、下巻でふたりは本当はきょうだいじゃないよん♪
→上巻:アウト、下巻:セーフ - 上巻で仲良しカップル、下巻でふたりはきょうだいでした!
→上巻:セーフ、下巻:アウト
なお、前者のケースが一冊になっていた場合は無問題。後者はどう転んでもアウトですよ。
以上のことから、お役所が徹底的に形式主義であることがうかがえます。
戸籍という形式が守られていれば、実態はどうであっても構わない。
法律という形式に触れてなければ、実態はどうであっても構わない。
まあ、形式というだれが見ても白黒つくものでなければ、ルールの拡大解釈がなされてしまいますから、いたしかたない部分ではあります。
いかがだったでしょうか。
創作行為において、人間社会で定められたルールに引っかかることはざら。
むしろ、そうしたルールに疑いをもち、揺さぶるためにこそ創作や表現は存在します。こうした問題は、創作に携わるひとびと全員で見張っていかないと、気付いたときには何も表現できない社会になってるかもしれません。
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