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Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【創文メモ】案外、勘違い、テーマとはなんぞや?

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小説にしろ、エッセイにしろ、文章を書くとき、まず最初に「テーマ」を決めます。ところが、全然思いつかなくて四苦八苦したり、改めてテーマとはなんぞやと自問すると思考停止に陥ったり、そんな経験ありませんか? わたしだけかな?(汗)

一応、テーマを辞書で引きますと、

テーマ(〈ドイツ〉Thema)

行動や創作などの基調となる考え。主題。また、論文の題目、楽曲の主旋律など。「共同研究の―を決める」「政府にとって農業政策が今後の―になる」

デジタル大辞泉

「文章の書き方教室」などを読みますと、ネタは身の回りを探しましょうとか、日々の観察が大事ですみたいなことが書いてある。「朝、会社へ行く途中で寝てる猫を見かけました」という、どうでもよさそうなことは、果たして「行動や創作などの基調となる考え。主題。」になるのだろうか???

 

そこで「そもそもテーマとは何か?」が今回のテーマ(笑)

もったいぶることではないので、結論を言います。
テーマとは「判断」のことです。

 

たとえば、なにか料理を食べたときに、「美味しいな」とか「いまいちだな」とか思いますよね。この「美味しいな」「いまいちだな」が判断です。

「昨日行った中華料理のお店について」というテーマで書こうとしても、それは「締めのチャーハンが美味しかった」であり、「お店の雰囲気が素晴らしかった」であり、「でも、お会計が高かった」なのです。すべて判断です

あるいは、ネットニュースや新聞を読んで、「こんな事件が起きていたんだ」と気付く、難しく言うと「認知」することも判断です
「季節外れに桜が咲いた」も「塀の上に猫が寝ていた」も「新しいカフェができた」も、自分が理解したことに関しては、すべて判断と見なして構いません。

 

ところが、よくあるのは「愛について」「友情について」がテーマだと思い、そこで考えるのをやめてしまうこと。「愛」「友情」だけではテーマになりません。そうすると、文章が書けなくなります。書けないというのが大袈裟なら、落着点の見えないとりとめのない文章ができあがります。
文章として書かれたものの背後には、必ず「愛とは◯◯である」「友情に大事な3つのこと」といった筆者の判断が隠れています。

ですから、この記事のテーマである「テーマについて」を書き換えるなら「<テーマとは判断である>について」となります(くどくてすみません)。

 

逆に考えると、テーマが出てこないのは、物事に対して判断停止している、もしくは判断不能になっているということです。
真面目な話、ひとは疲れると、判断をくだすのが面倒になる生き物です。そういうときは、休息を取り、頭をすっきりさせることのほうが先決です。

身の回りのネタを探しても、そこに判断がないと書けません。逆に、テーマが判断であるとわかれば、テーマがないという苦しみから少しは解放されるかもしれませんよ?

 

ちなみに、機能言語学では、「中華料理のお店はエビチリが絶品だった」という文章の、「中華料理のお店は」までをテーマ、判断を示す「エビチリが絶品だった」をレーマと呼びます。
でも、わたしたちはひっくるめてテーマでいいと思います (^ω^)