Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【雑 文】『艦これ』を右傾化とか言ってるおバカさんに薬をつけたい-『艦娘型録』

艦隊これくしょん -艦これ- 艦娘型録 携行型 2014年版 (角川文庫)

 

ようやくというか、いまさらというか、『艦娘型録』の文庫版が登場しました!
おー、パチパチパチパチ
辞書サイズのほうは買いませんでしたが、こちらは便利そうなのですぐさま購入。文庫のくせに中身はフルカラー。すごい!

 

艦これ』で若い子が右傾化するんなら、政治家にとってこんなに簡単なことはありません。美少女キャラを用いることで自分たちに必要なイデオロギー操作ができちゃうってことですからね。それはヲタさん、もう少し広げて言えば、日本の男性の見識をやや軽く見積もり過ぎでしょう。

 

もっと、素直な目線で見れば、単純に『艦これ』の世界観やゲームが面白い。それだけのことに過ぎません。『メタルギアソリッド』や『CoD』、『バトルフィールド』なんかが流行るたびにそこに軍国主義の匂いを嗅がれちゃうんじゃ、何にもできなくなっちゃう。そもそもタミヤの模型はどうすんじゃい、と。

 

でも、一方で、何かしら流行を生み出すものには、そのおもてだった現象の背後に、意外な心象風景が広がっていたりすることも事実。それを今日は、思いつくままにつらつらと書いてみようかなと思います。にしても、加賀、羽黒、睦月は可愛いなあ、睦月のCV:日高里菜さん、サイコー!

 

以下、本題。

 

ひとは「歴史」とともに生きてきた

どんな国も歴史を持ちます。それは神話や古墳のような超自然がかったものから、個々の事件や偉人たち、残された文献や遺品、あるいは、もっと身近なところでは地域に伝わる昔話やお祭りのような行事まで、これらはすべてそこに暮らすひとびとにとっての歴史にほかなりません。

 

そうした歴史は、学校の授業で習う科目である以上に、ひとが生きるうえでの生活規範として機能していました。噛み砕いて言えば、わたしたちが生活するうえで参考にするマニュアル、お手本、手引き書。それが「歴史」でした。今ほど安全じゃない時代には、必要不可欠なものです。

 

というのも、歴史には、面白いことから悲惨なことまで、具体的なことから抽象的なことまで、いろいろ盛り込まれていますが、ざっくり言えば、とにもかくにも今日まで自分たちが絶えることなく露命をつないできた、なにがしかの根拠がそこには陳列・展示されているのですから。

 

時代がくだり、科学や理性のちからがひとに安全を約束するようになって、相対的に歴史の影響力は低下しました。しかし、ある日を境に、歴史の遺物が一切合財消滅したわけではありません。現に、世界遺産を初めとし、身の回りのいたるところに「歴史」はたくさん残っています。

 

ですから、ひとが黴臭い文献に頼らず生活ができるようになったとしても、意識の奥底には自分たちを長く守ってくれた「歴史」という揺りかごの存在がありありと刻印されています、どんな国の民族にも。ところが、ここに歴史上の奇形ともいうべき、国がひとつだけ誕生しました。

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提督、情報確認ですか? それはとても大切です。情報は此方に

 

奇形国家アメリカにひれ伏した日本

それがアメリカです。アメリカはインディアンが暮らす土地に白人が介入し、何の歴史的連続性がないところにあれだけの国を作ってしまった。ですから、アメリカには神話が存在しません。「人民の人民による人民のための政治」なんて言葉には、神が存在しないことのイデオロギーを裏読みできます。

 

アメリカは、自分たちを育んでくれた歴史を持ちません。従って、自由だとか、平等だとか、人権だとか、そういう「人工的」な理念で国をまとめるしかありませんでした。ところが、そうした人工の極みともいうべきアメリカに占領され、国家的なアイデンティティを奪われた国があります。

 

それが日本です。日本には、アニミズムも、仏教も神道も、貴族も戦国大名も、源氏絵巻も安土桃山文化も、お茶、お花、能楽、書画、俳諧、落語‥‥‥何だって、揃っていたのです。ところが、太平洋戦争で負け、こうしたものの一切合財が否定されました。バンザイアタックの日本人が相当恐ろしかったのでしょう。

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ん? 敵空母が現れましたか?

 

日本人の狂った歴史感覚

わたしは、日本人をとても頭が良い民族だと思っています。そうしたアイデンティティを根こそぎ潰されても、アメリカのサブカルチャーをうまく消化し、順応してしまいました。日本のアニメが、人無し、金無し、時間無しの逆境のなかに日本の美学を持ち込み大成したのは、ひとつの象徴でしょう。

 

ですが、この日本人の頭の良さと器用さが仇にもなります。あまりに順応が早かったために、自分たちがどれほどの歴史的断絶を被っているかについて麻痺してしまいました。要するに根無し草。わたしなども明治、江戸の世界をお伽話のように眺めていますが、この感覚に染まっていることがヤバい。

 

諸外国では、100、200年前のことであれば、つい昨日のことといった感覚を持っています。冗談の引用で恐縮ですが、京都人が先の戦争といえば応仁の乱を指す、というこの感覚です。ところが、それを目ざわりだと感じた人工国家・アメリカによって、歴史感覚を狂わされた。それが今の日本です。

 

しかも、アメリカの世界戦略上押しつけられた「高度経済成長」を享受し、お金を自分たちのレゾンデートルにできていたあいだはまだ幸せでした。ですが、それも1980年代で完全に消滅。今の若者は、拝金主義になろうにもそれもできない、「歴史」にいたってはもっとはるか以前に取りあげられている。 

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やられた……傾斜回復を……もう沈みは……しない……!

 

歴史を取りあげられた日本の若者

現代の若者は、自分を日本人とするための根拠を、大袈裟な話、何も持っていません。拝金主義のような思想があるわけでもない、「歴史」もない、土建屋がメタメタな開発を行い、国土の美観も損なわれている。これじゃあ、日本を嫌いになって、自殺が増えるのも当然です。

 

歴史は、わたしたちがなぜ「いま、ここ」にあるかの文脈を与えてくれます。そうした因果関係の証明は、軍国主義的ではない、もっと健全な郷土愛や隣人愛を自然と育みます。ところが、いま私たちの周囲を見回したときに溢れているのはすべて日本人本来の文脈とは関係のないものです。

 

そうしたときに、歪んだかたちであるにせよ郷土愛や隣人愛を象徴する太平洋戦争時のイコンに若い子たちが魅せられるのは、不健全どころか、極めて健全な気持ちの発露だと、わたしは感じてます。彼らが戦争を望んでいないことは言うまでもありません。欲しいのは、郷土愛や日本人としての自信です。

 

しかし、今の日本では、一歩間違うと、郷土愛や日本人の自信すら軍国主義と結びつけられ、狂信的、ヒステリー的に、タブー視されることがあります。GHQなのか、マスコミなのか、誰が仕組んだかはわかりませんが、極めて戦略的で、うまいこと「殺った」と思います。

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えーとえーと、どうしたら良いでしょうか?

 

去勢された日本の男性

軍隊は、闘争を主たる目的にしますから、もちろん男性性を象徴します。 軍隊について語れない土壌とは、つまり男性性の去勢でもあります。戦後、日本では、こと「戦うこと」に関しては徹底的な去勢が施されました。不健全なかたちでの闘争の否定は男性をどんどん自信喪失に追い込みます。

 

しかし、そのことへの反動からでしょう、日本ではおもてだって戦いを語る際には、「少女」たちの姿を偽装するようになりました。これが斎藤環さん言うところの「戦闘美少女」です。斉藤さんは、心理学的に難しく解釈していますが、わたしの戦闘美少女の理解は、こんなところです。

 

戦うことと男性性をあからさまにつなぐと、すぐさま軍国主義の復活だと言われかねません。ですから、男性性を間引いたあとに「少女」という戦闘とはかけ離れた、極めて倒錯した存在を持ち込みました。少年が主人公の場合、彼らを成長させてはいけません。少年は成長したら「男」になりますから。

 

だから、アムロみたいにウジャウジャ言ってて、最終回でも成長したんだかしてないんだかよくわからないのがちょうどいい。ファースト・ガンダムで「男」のシャアは負けました。しかし、『逆襲のシャア』で成長し男になったアムロは物語のうえから抹殺されます。戦いと「男」のリンクは、日本においてはご法度なのです。

 

また「女」もいけません。女も、男同様、社会共同体の構成員です。女が戦うことは、社会共同体を守り、強化させるための剣呑な意味を持ちます。大事なのは、男として戦いたい(テーゼ)、男は戦ってはいけない(アンチテーゼ)、少女に偽装して戦う(ジンテーゼ)というアウフヘーベンです。 

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やられた・・・!工作機械への延焼を防いで!

 

戦闘美少女に歴史を付与する

敗戦による占領と文化・歴史の収奪を行われなかった国々に、戦闘美少女の生まれる土壌があり得ないのは当然ですし、そもそも少女が戦うという発想へ行きつくはずもありません。男が戦えばいいのですから。戦闘美少女は、日本の戦後という特異な歴史風土のなかで生まれるべくして生まれました。

 

艦これ』を右傾化の発露だなんて、マヌケにもほどがあります。それよりもお金に振り回された半世紀をうかうかと過ごし、挙句に、現代の若い子たちになにひとつ歴史を取り戻せなかった「大人」の振る舞いをもっと糾弾すべきです。責任の所在を問うならばそういうことです。

 

でも、そうした後ろ向きな議論ばかりでなく、「艦娘」を初めとする戦闘美少女たちが日本人男性にとってどのような意味を持っているのかを改めて知り、日本の改変された歴史のありように今一度目を向ける議論が持ちあがってくるといいなと思います。それも若い子たちのあいだから。

 

そうした思索は、戦闘美少女を捨てることではありません。日本人の戦後を長らく支えてきた彼女たちに、日本人(の少なくとも一部)がアニミズムを感じ、感謝の念を抱くことは何らおかしいことではありません。彼女たちを日本の歴史的文脈から遊離させず、逆に歴史的必然性を与えるのです。

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皆さんと共に、全力で戦線を支えますっ!

 

戦闘美少女たちの薄暗き情熱

彼女たちは、日本人の(特に)男性がこうむった影響の紆余曲折のなかから立ち上がってきました。こういうものに免疫がないひとたちからはさまざま揶揄されてきましたが、戦闘という属性を決して捨てなかったところに、日本人男性を見捨てなかった巫女的な神性を感じます。

 

彼女たちが戦闘的な属性を捨てなかったということは、それは取りも直さず、彼女たちを生んできた男性諸氏のなかに、薄暗くも決して消えることのない、執念深い闘争心を見る思いがします。それは決して戦争を意味しない、自分たちの生まれ育った風土を護るための闘争心です。

 

何かひとつきっかけがあれば、こうした男性諸氏の気持ちが大化けするように思うのは、わたしの儚い願望でしょうか。重武装して健気に戦う「艦娘」たちを見るにつけ、日本人の歪んだ歴史認識を正そうとする(それはナショナリズムなんかではなく)あえかな囁きを耳朶の奥に聞いてしまいます。

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みんな優秀な子たちですから