Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【創文メモ】永遠の命題? 創作のオリジナリティとは?

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個性、オリジナリティは、どのような創作行為においても、取り沙汰されるテーマです。すなわち、個性があるのか否か、オリジナリティが確立できているのか否か。

こと文筆の場合、個性、オリジナリティの問題はとても簡単。
悩むのは不毛なので、一日も早くその呪縛を解いたほうがいいです。

 

結論は、以下の3点。

  1. 創作の個性、オリジナリティは作者の思考そのもの
  2. 個性、オリジナリティは、触れている作品の数と思考の深さに比例する
  3. 個性、オリジナリティが欲しければ、みんなが知らない作品にアクセス

 

文章はだれにでも書けるけど

作者にとって作品はわが子同然ですから、できれば、よそさまの子よりも頭ひとつ群を抜いてほしい。頭ひとつが無理ならば、せめて爪先の指一本ぶんなりともほかの子に先んじてほしい。それが本当に「親ごころ」なのか、親の「エゴ」に過ぎないのかは知りませんが、思う心は止められません。 

結論を言えば、冒頭にまとめましたように、文筆におけるオリジナリティとは、作者の思考そのものを指します。 

言論に携わる者にとってペンは武器、というような言い回しがあります。岸辺露伴ではないのですから、もちろんこれはペンそのものではなく、それを使って書く文字が武器になるという意味ですね(ちなみに、これは換喩の例です)。

f:id:dawnrunner:20150705105236j:plain お約束

 

小説でも詩でもエッセイでも、言葉を操るこれらの作品は、作者が考えたように文字を起こしていけば、基本、完成します。写真や絵画、音楽などのように道具の習熟が、作品の出来を左右するものとは違います。文字を書くペン、今ならキーボードに複雑な操作は必要ありません。

道具の扱い方が簡単だということは、それだけ作者の思考が作品の質に直結することを意味します。ちょっと後ろ向きなことをいえば、漫画の場合、内容が乏しくても、絵が上手であれば、読んでくれる(見てくれる)ひとはいます。しかし、小説の場合、内容が乏しければ、まず誰も読みません。文章以外の付加価値がないからです。

耳が痛い意見ですが、ラノベに文章は要らない、イラストだけで良いと言われるのもまさにこの点を突いてきているわけです。

自分の言いたいことがまとめきれない。自分が表現したいことに対して上手い言葉が見つからない。これらはすべて、作者の現時点における思考の限界を示しています。ただ、その結果として表現を妥協したことがすべてマイナスになるわけでもなく、かえってそれが読者に好評だったりもします。

 

言葉がまずくとも良い作品は書ける

そうした一例として、作家・アゴタ・クリストフをご紹介します。

彼女はもともとハンガリー人ですが、1956年のハンガリー動乱で外国へ亡命します。行き着いた先はスイス。その地で彼女は生計を立てるためハンガリー語で作品を発表するも、出版社からはまったく相手にされません。そこで、移住してから覚えたフランス語で小説を書くことにします。そして完成したのが『悪童日記』。

わたしたちが今から英語を習い、英語で文学小説を書くようなことを想像してもらえばいいと思います。

小難しく書こうと思ってもできませんから、おのずと彼女の文章は簡潔になりました。しかし、そこに書きあらわされた世界観と少したどたどしい文章の組み合わせがかえって物語に深みを与えることになります。結果、『悪童日記』とそれに続く『ふたりの証拠』『第三の嘘』は彼女の代表作になります。

 

これを技術的未熟さが作品の価値を高めた例と捉えてはいけません。むしろ、作者の頭のなかに確固とした考えがあり、なおかつ表現し切る意志があるならば、言葉の問題は二の次だということを示しています。アゴタ・クリストフハンガリー語で深く考えたことを、たどたどしいフランス語にしただけですから。

文筆の場合、言葉よりもまず思考ありきなのです。

ただ、かのウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」と言っているように、言葉を知らないと思考が広がらないのも事実。たくさん本を読み、言葉を増やし、思考を深め、その最後に文章をものするというのが、何の面白味もありませんが、やはり順当な手順でしょう。

 

となりの青い芝生を見よ

さて、マンガでも映画でも音楽でも小説でもゲームでも、何かを創作しようと思ったら、そのジャンルの作品にばかり触れていてはダメだといいます。

同じジャンルの優れた作品は、ほかの創作者たちも一度は目を通しています。そして、悲しいことですが、ほとんどの場合、わたしたちは同じ作品についてほかのひとと同じ感想しか持てません。違いがあったとしても大同小異です。

同じ作品から斬新なアイディアが得られないなら、違う作品をあたるしかありません。それも同じジャンル内ではだれかと競合する可能性が高くなる。
「では、隣の世界をちょっと覗いてみるか‥‥‥」
これが、創作者はほかのジャンルにも目を配れ、ということの理由です。

仮にアイディアが似通っていたとしても、まとわせる意匠を変えれば、違う物語に見せることができます。映画『エイリアン』と『ターミネーター』は、表面の違いを取っ払えば、まったく同じ物語です。敵と遭遇し、追い掛け回され、反撃し、女性だけ助かる。

こうした意匠をいろいろ引き出しとして持っておくためにも、いろいろなジャンルの作品に触れておかないといけません。ほかのひとと同じ作品しか見ていなければ、アイディアも意匠も同じものしか手に入りません。創作においては、となりの青い芝生を羨ましがることが許されます。どんどんいろんな作品に触れましょう!

 

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悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

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ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

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第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

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