Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【 本 】医療は神への祈りというけれど。ひとの尊厳を剥奪していく矛盾-『夜と霧の隅で』

夜と霧の隅で (新潮文庫)

 

ナチスが行ったホロコーストは、ユダヤ人の虐殺ばかりが取りあげられますが、それだけでは収まらない国家的殺戮でした。ユダヤ人のほかにも、民族としてはスラヴ人やロマ(いわゆる、ジプシー)、社会属性的には無職や浮浪者、思想面からは政治犯や特定の宗教関係者、ジェンダー的には同性愛者など。これらのカテゴリーに入るひとは、みな処刑の対象でした。要するに、ナチスの考える理想的国家像にあてはまらないひとは片っ端から殺す。

 

そして、精神病者も例外ではありませんでした。精神病は遺伝するので、患者が子孫を残せば、ドイツ国家は次第に弱体化するというのが、彼らナチスの主張でした。精神病者や兵役にも労働にも資さない身体障害者安楽死政策。これを指揮した本部がベルリンのティーアガルテン4番地にあったことから、俗に「T4作戦」と言われます。ティーアガルテンは、日本語で「動物園」。人間を家畜のように見なした作戦に対する皮肉のようですね。

 

主人公・ケルセンブロックの勤務する精神病院に、ある日、ナチスの親衛隊が訪れます。回復の見込みがない患者を安楽死の施設へ移送する通告でした。医師たちは動揺しますが、親衛隊が安楽死の候補者を選ぶ次回の来院までに、ひとりでも多くの患者をリストから外せるよう、診療姿勢を積極的なものに改めます。性格上、これまで患者との接触を最低限にとどめてきたケルセンブロックも協力しますが、彼の選んだ手段はショック療法でした。

 

人体に過剰なストレスをかけ、凝り固まった心をこじ開けようとします。規定回数以上の電気ショックやインシュリンによる昏睡時間の引き伸ばし。しまいには、患者の頭を開頭し、前頭葉の一部を切断するロボトミー手術すらも行います。糞尿垂れ流しになったり、「お、か、げ、さ、ま、で」しか話せなくなったりするなど、それまで比較的ましだった患者たちの狂気が昂進します。エスカレーションしていく治療は、ついに死者をも出す事態に。

 

ケルセンブロックは、犯罪的思想の持ち主でもなければ、サディストでもありません。生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた患者たちを救いたい一心なのです。間接的にでも極限状況におかれた彼の行動に同情することはできます。しかし、治療という名の拷問を加え続ける彼の姿には、同じことを延々と繰り返す強迫神経症患者の姿が重なって見えます。果たして、気が狂っていたのは患者だったのか、ケルセンブロックだったのか。

 

著者の北杜夫さんは、東北大学医学部を卒業され、精神科医としてのご経験をお持ちです。おそらく、仕事を通じ、ひとの心の暗部に触れたことも一度や二度ではなかったでしょう。善意の発露としての行動がいとも簡単に狂気へと転倒する矛盾を描いた本作は、だれの心にもホロコーストへの引き金があることを暗示しているようで暗澹とします。国家的狂気の片隅で演じられた、医療という名の破壊。第43回芥川賞の受賞作です。

 

マニアックな知識で恐縮ですが、「夜と霧作戦」というのが別にありまして、これは主に政治犯が対象になりました。こんにちに至るまで、逮捕されたひとびとの消息も死体も残っていないという、こちらもまた陰惨な話です。本作のタイトルはこちらの作戦からつけられていますが、精神病者や身体障害者に対して実施された安楽死作戦は最初のほうにも書きました「T4作戦」です。お間違いなく‥‥‥ってか覚えなくても構いません(汗)

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T4作戦で精神病者たちを運んだ鉄道駅にプレートを設置しています

 

日本人が描いた、ホロコーストの「幕間劇」。現代の医療行為にもかいま見られる、ひとを救うためのものが、むしろ人間の尊厳を剥奪し、追い詰めていくという矛盾。医療とは何か、倫理とは、正義とは、安楽死とは、優生学とは、さまざまな近代的理念の歪みを本作は突きつけてきます。ホロコーストは、ユダヤ人ばかりでなく当のドイツ人に対しても大きな悲劇をもたらしました。ちょっと暗めですが、関心のあるかた、ご一読をおすすめします。

 

夜と霧の隅で (新潮文庫)

夜と霧の隅で (新潮文庫)