【 本 】虐殺の村オラドゥールに見る戦争の無意味さ-『失われた土曜日』
パレスチナの惨状を目の当たりにして、イスラエル憎しの思いを募らせている日本人は多いでしょう。
戦争行為が、合理的で、平和的で、理性的であったことなどありはしません。
こと、生活者目線においては。
今に語り伝えられる、戦争にまつわるたくさんの悲惨なエピソード。
その中から今日はフランスの、とある村に起きた虐殺をご紹介します。
『失われた土曜日』
1944年6月10日の土曜日。
パリから南南西へ400キロ行ったところにある、オラドゥール・シュール・グラヌ村。
グリーンのところです。
この日、村の入口に200名からなるドイツ兵が現れました。
彼らは村に入ってくると、村民に身分証明書を持って集まるように指示します。
14時45分、彼らはドイツ兵の指示通り、身分証明書を携え、広場に集合します。
すると、ドイツ兵は彼らを男性と女性子供、ふたつのグループに分けました。
女性子供のグループは教会へ連行されます。
ここで初めて、広場に残された男たちにドイツ兵の目的が告げられます。
「この村に、テロリストによって作られた武器と弾薬の秘密の倉庫がある。我々はこれから家宅捜索を行う。その間作業がしやすいように、あなたたちには納屋に入っていてもらう」
「その前に、もし誰かがこの倉庫を知っていたら我々に教えるように命じる」とつけ足した。
この当時、フランスでは占領軍であったナチスに対する抵抗運動が活発でした。
テロリストとは、その抵抗運動・レジスタンスに関わったひとのことを指します。
しかし、戦争とはまったく無縁に過ごしてきた村人には何のことやらさっぱりです。
そうこうしているうちに、男たちのグループはさらに分けられ、そのひとつが納屋に入れられました。
小説なら、ここでドイツ兵たちの会話や意図が描写されるところでしょう。
しかし、村人の目には何が何やらわけのわからないままに殺戮が開始されます。
入り口のところには四人のドイツ兵がピストルと機関銃を交差させて立ち、何事か話し合ったり、笑ったりしていた。とても逃げることはできないと男達は覚悟した。納屋に入って五分ぐらいたったころ、広場の方で強い爆発音がした。それが合図だった。ドイツ兵は大きな叫び声をあげ銃を打ちまくった。前の方のいて最初に銃弾を浴びて倒れた者は、身体の上に次々倒れてきた者たちにより守られ、その後の射撃を受けずにすんだ。
機関銃の掃射のあとで納屋に火が放たれますが、中には焼死したひともいました。
みんな息を殺した。動いてはだめだ。炎が足をなめ、足が焼かれ、熱い。でも動けなかった。
炎はますます燃え盛り、撃たれて動けなくなった者はまだ納屋に残っていたが、生きながら焼かれ燃えていった。
(略)我々が何をしたというのか。生きながら焼かれるとは‥‥‥。この世の地獄だ。こんなことがあってもいいものか。
許さない、絶対に許せない。
村の外からちょうど戻ってきたひとたちも。
彼らは村のどこからか漂ってくる煙と、髪の毛の焦げるような異臭に気がついた。ドイツ兵の他には村人の姿が全く見えないことも不安を感じさせた。時々、人間とも何か動物ともわからぬうめき声と、泣いているような声が風にのって聞こえてきた。若者たちはあたりを見回し仲間と顔を見合わせたが、お互いに声に出してそれを確かめる気持ちにはなれなかった。
彼らは乗って来た自転車を広場の壁にたてかけるよう命じられた。
そしてボリューの鍛冶屋の前に連れて行かれ、全員が小型軽機関銃によって射殺された。
教会に連れて行かれた女性と子供たちのグループを待ち受けていた運命も男たちと同じでした。
恐ろしい悲鳴と銃声が交錯した。あどけない子供たちは声を立てる間もなく折り重なって倒れ、その子供たちをかばうように女たちもまた倒れこんだ。あたりに血の匂いと硝煙が立ちこめた。
性別はもちろんのこと、もはや子供であるとか、赤ん坊であるとか、戦闘員・非戦闘員の区別も存在しません。
「助けて下さい。この子だけでも助けて下さい。お願い」
そう言うより早く、窓から赤ん坊は放り投げられた。ルゥファンシュ夫人がかけ寄るひまもなかった。白いレース飾りのついたケープはゆっくりと広がり、赤ん坊は白い小さな固まりとなって落ちていった。
射殺が完了すると、ここもまた放火されます。
教会の床には、灰の厚い層と人肉と骸骨がごたまぜになって敷きつめられていた。焼けた人肉の激しい匂いが残骸から発散し、喉までこみ上げてきた。
ここまで来ると、狂気以外のなにものでもありません。
体が不自由なために広場へ行けなかった年寄りたちは、自宅のベッドに横たわったまま焼かれた。エミール・デズルトー通りのある家からは、鉄のベッドに横たわったままの遺骸がみつかった。首から下は黒焦げになった死体は、中風で寝たきりのジルー(75歳)と 確認された。もっとショッキングなことは、パン屋のオーブンの中から、炭化した五人の残骸が見つかったことであった。犠牲者はパン屋の夫婦と三人の子供であった。また、このオーブンの近くの火消しつぼの中から、完全に炭化した人間の骨がみつかった。ナチスの軍人たちは、非常に残虐な集団虐殺を徹底して行い火をつけたのだ。
642人の老若男女が死にました。
何の申開きや弁明の機会もない、ただの殺戮です。
戦後調査で、ドイツ軍からさまざまな言い訳が出てきました。
現在では、フランスのレジスタンス運動に対する報復だと言われています。
連合国軍によるノルマンディ上陸作戦の遂行が6月6日。
たった4日前のこと。
欧州戦線の解放が始まった矢先のことでした。
オラドゥール村の人々の死に、どんな意味があったのでしょう。
皆殺しになることで、本来なら生きているひとによって担保された死者の実存性も記号化されてしまいます。
これが戦争の残酷さ、非人間性なのでしょう。
人間がやることではない。
だからこそ、何でもありなのだ、という戦争の恐ろしさを考える機会にしてもらえたらと思います。

失われた土曜日―1944年6月10日虐殺の村オラドゥール (シリーズ 歴史を語る)
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