Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【 本 】ひとを忘れた会社に明日はない-『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。 コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする』

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結論はひとつ。

会社はひとでできている。

ひとにテコ入れしよう。

ツールとしてのグラフやチャートをいくら用いても会社に変化は起こせない。

変化がないどころか、多分に抵抗を誘発し、改悪へ転がる。

ひとにテコ入れするといっても、さほど難しいことが必要なわけではない。

要するに、相手の顔を見る、心からの成長を願う、困っていることに手を差し伸べる。

これだけだ。

こんな泥臭いことがすべて。

ひとを数字で追い込めば、相手はどのような奇策・詭計でも用いる。

それが法律に抵触しようとも。

なぜ、そのときだけ経営陣は部下の誠意に甘えるか。

「体重を10キロ減らす」が必達目標ならば、健康を損なってでも達成しようとする。

「体力をつけ、心身の健康状態を改善する」という定性目標の素晴らしさ。

それは、いつまでも達成できないから、努力し続けなければならないことだ。

財務の指標などを自動車のダッシュボードになぞらえることがある。

まさにその通り。

ダッシュボードだけを見て、道路を見ずに運転していたら車は衝突してしまう。

可視的な目標にとらわれることの危うさを鷲田清一も指摘する。

せっかちは、息せききって現在を駆り、未来に向けて深い前傾姿勢をとっているようにみえて、実は未来を視野に入れていない。未来というものの訪れを待ち受けるということがなく、いったん決めたものの枠内で一刻も早くその決着を見ようとする。待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めたことの結末である。決めたときに視野になかったものは、最後まで視野に入らない。頑なであり、不寛容でもある。やりなおしとか修正を頑として認めない。結果が出なければ、すぐに別のひと、別のやり方で、というわけだ。(『「待つ」ということ』)

 

ドワイト・D・アイゼンハワーの言葉。

戦闘準備において、作戦そのものは役に立たないことをつねに思い知らされたが、作戦を立てる行為こそが重要だ。

 

大事なものは作戦という「成果物」ではない。

それを組み立てるまでの「プロセス」だと言っている。

 

申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。

申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。

 
「待つ」ということ (角川選書)

「待つ」ということ (角川選書)