Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【 本 】あなたを縛るものから解き放つ簡単なこころみ-『弱いつながり 検索ワードを探す旅』

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哲学者の東浩紀先生にしては珍しいタイプの本だというので、ツイッターで話題になっていた。

『弱いつながり』

「弱い」というキーワード。
以前に松岡正剛『フラジャイル』を読んで以来、気になっていた言葉。
世界は「強さ」を求める。
経済も、政治も、軍事も、会社も、個人も。

しかし。
それは本当に強さを生み出しているのか。
それは本当にひとの暮らしに豊かさをもたらしているのか。
それは本当にひとの文化を創造的に駆動しているのか。

「柳に風」のことわざがある。
暴風に太い幹は折れても、柳の柔らかい枝葉はそれを受け流す。
硬いガラスコップは落とせば割れるが、紙コップならそうしたこともあるまい。
守れば守るほど、システムの堅牢性は高まるが、柔軟性・拡張性には難が生ずる。
ある程度、出入りを緩くしておいたほうが外部との接続は広がりを持つ。
ときに不埒な者があらわれもしようが。
前者をMacの設計思想とするならば、後者をWindowsLinuxのそれに喩えることができようか。

著者は弱さとつながることで何をするつもりなのか。
副題には「検索ワードを探す旅」とある。
帯にも魅惑的な文句、「グーグルが予測できない言葉を手に入れよ!」。
著者はわたしたちに新たな検索ワードの獲得とグーグルに代表される検索エンジンからの逸脱を求めているようだ。

確かに最近わたしも思うところがある。
ウェブ検索や文字入力で、オートコンプリートや予測変換の機能が当たり前になった。
これらの機能はひとに、時間の短縮、すなわち労力の削減を可能にさせる。
反面、ひとを最短プロセスに囲い込み、ほかのことに目を向けさせない。
いや、当人にその自覚はない。
自分では、ネットを使いこなしているし、自由に振る舞ってもいるつもりだ。
だが、実態はシステムによる巧妙な誘導がそこに仕組まれている。
最近、消費者がステマに敏感なのは、わたしたちの選ぶ権利がいつの間にか侵害されていることへの嫌悪を感じるからではなかったか。
だが、一層優れたシステムはそこに組み込まれた者に、その自覚を一切与えない。

わたしたちを取り巻く環境にも同じことが言える。
ひとは「環境の産物にすぎない」と著者は言う。
例えば、花を美しいと思う心。
それは自分が育った環境に花があったから持つことができるもの。

極端なケース。
北極、つまり花が存在しない環境。
そこに育ったひとが花を美しいと思うことはない。
そもそもの花がないのだから。

自分の感性は、何にもとらわれず自由だと思っている。
その実、環境にがっちり嵌めこまれている。
しかし、北極人を花が咲き乱れる熱帯の島に連れてくれば、花を美しいと思える感性は養えるかもしれない(あるいは、気持ち悪いと思うかもしれない)。

わたしたちが「環境の産物」であるとはこうしたことだ。

わたしたちが毎日、
同じ家で起き、
同じ電車に乗って、
同じ学校なり、職場なりに行き、
同じ友人たちと言葉を交わし、
同じ家に帰ってきて、寝る。

これでは、決してひとに新しい世界は拓けてこない。
ネットの中だけを見ていたなら、なおさらだ。
今のネットはそれと気づかせずにひとを予定調和の世界へいざなうのだから。

著者は「環境を意図的に変えること」「身体の移動」、すなわち「旅」をせよと提案する。
旅をすることで、みずからを異なった文脈=環境に置く。
そうすれば、思いもかけないキーワードに逢着するという。
それは、著者の場合、
インドを旅したときの「ケーララ」であり、
福島を旅したときの「Fukushima」である。

だが、必ずしも「旅先で新しい情報に出会う必要はありません」とも付け加える。
「出会うべきは新しい欲望なのです」
知りたい、食べたい、飲みたい、買いたい、行きたい‥‥‥。
新たな欲望が芽生えさえすれば、あとは放っておいてもひとは新たな地平を拓く。
だから、旅に重い意味や意義を付加する必要はない。
「観光客」としての無責任さを身にまとい、物事の上っ面を見るだけでも良いとする。
それでも、現実のものに触れたあなたの心にはなにがしかのキーワードが喚起されるのだから。

旅をしろと促しつつも、著者はネットを否定しない。
ネットを十二分に使いこなすためにこそ、旅をするのだ。
「ネットを離れリアルに戻る旅ではなく、より深くネットに潜るためにリアルを変える旅」
わたしは最初ネット批判から入ってしまったが、本当はネットにだって生涯かけても読みきれない量の情報が埋蔵されている。
ただ、「グーグル」だけを窓にして世界に対峙していると、そうした情報のほとんどにアプローチできないことを著者は懸念しているのだ。
ネットをする人間をバカにした本ではないかと身構える心配はさらさらない。

本書は、著者が旅をして、どのような新しい知見を得たかを著したエッセイ。
エッセイと書いたら語弊があるかもしれない。
だが、哲学が苦手なひとに対してメッセージを届けたいという著者の想い。
それが本書をきわめて平明にしている。
読みやすいのに、著者の本業である哲学もところどころに顔を覗かせるので、この手の本が初めての読者には哲学とはこういうものかという興味も抱かせるだろう。

 

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旅はいいね、リリンが生み出した文(略

 

弱いつながり 検索ワードを探す旅

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フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

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