【 本 】ひとは間違ったことを言い続けてきました-『珍説愚説辞典』
世間には、「なるほど!」と思わせる素晴らしいアイディア・意見があります。一方には「ナンダコレハ?」というような珍説・愚説もまた存在します。
今なら2ちゃんねるのコピペスレが有名。これとかですね。
705 名前:Trader@Live!:2008/03/01(土) 00:22:59.02 id:IsHlQdih
死にました。借金負いました
息子に「高校辞めて働いてくれ」って言わなきゃならんのが一番辛い723 名前:Trader@Live!:2008/03/01(土) 00:23:30.09 id:nksKyiF9
>>705
奨学金やらローンでどうにかなるだろ。親の年収が200万なくても大学出たヤツいるんだしさ776 名前:Trader@Live!:2008/03/01(土) 00:26:26.31 id:IsHlQdih
>>723
はああああああああああああああああああ?
馬鹿じゃないの?
私立なんだよしりつ!!!!
金がかかるっての!
じゃあお前が育てろよ!!!
気持ちはわかりますが、こういうロジックが破綻したやつ。
今日ご紹介する本は、こうした珍説・愚説ばかりを過去の文献から収集した、その名も『珍説愚説辞典』。
ただし、過去の文学作品や新聞、評論集から集めたものなので、ネットのコピペよりもややお上品。
本の周辺情報をこまごまを説明するよりもまずは中身を見てもらいましょう。「辞典」を名乗っているように、中身は項目別に分類されています。
例えば、
【朝】
■時として延長される
五月二十三日金曜日の朝、午後一時二十七分、ヴィクトル・ユゴーは息を引き取った。
それは「昼」でしょう、先生。
【足】
■文学に登場する足
あなたの両足が、夜昼問わず、私の胸の上に置かれている。
ノアイユ伯爵夫人『私にはわからない』(『死者と生者』所収、一九一三)
シチュエーションが「私にもわかりません」。
【ヴァチカン】
■人口に関する情報
ヴァチカン市国はヨーロッパで一番人口密度が高い。市国全体の人口は千二十五人なのに、一平方メートルあたり四千人の人口密度なのだ。まるで地下鉄である。しかし、人々は気持ちのよい人生を送っているように見える。
「コメディア」一九三三年二月十三日
どういう計算式に基づくのか見てみたいです。
まだまだ、あります。
【シェイクスピア(ウィリアム)】
■小声の賛美者
シェイクスピアはたしかに粗野ではあるが、教養や知識がないわけではなかった。
ジャン=フランソワ・ラ・アルプ『文学講義序説』(一七九九)
かなりの上から目線。あれだけの著作があっても……そうですか。
【ドイツ語】
■知識はこれだけで十分?
「アウフ・ヴィーダ-ゼーン!(また会いましょう)」フランクは握手しながらこう言った。それは彼の知っている五つのドイツ語の一つだった。
「ジュルナル」一九三五年十一月十日
【ドイツ女性】
■かくも違う
ドイツの町の女たちは哀れな印象を与える。しぐさはぎこちなく、角張った感じがつきまとう。外見上は、女性らしさがまったく欠如していると言えばいいか。ドイツの女には、肉体のやわらかな調和というものがなく、また、細部への気配りもない。靴の履き方が下手である。歩いているおんなたちの足もとを見れば一目瞭然。すり減った踵、たるんだブーツの胴、曲がった靴底、それらが、ただでさえ大きすぎる手足をいっそう際立たせている。フランスの女性が滑るように進むとすれば、ドイツ女性は闊歩する。フランス女性の進む足もとには花が咲く余地があるのに、ドイツ女性の歩くところからは花も咲かないのだ。
マルク・アンリ『マイスタージンガーの国で』(一九一六)
ドイツ人を馬鹿にしすぎwww
【変化】
■そして変化する
我々フランスの共産党の立場は明確であります。我々は変わっていませんし、これからも変わることはありません。我々は変革のために行動しています。
アマドゥ-『信じるものは幸いかな』(一九八六)に引用されたジョルジュ・マルシェ共産党書記長の言葉。
ビミョーーーwwwww
【余暇】
■ない方が幸せ
無為の時間の辛さに悩み、見かけ倒しの娯楽の連続に食傷して、何も喜ばず、すべてに疲れ果て、永遠に続くかに見える退屈な時間を苦労して得ようとする者たちの如何に多いことだろう。
労働者はそのようにはならない。余暇が滅多になくても、またきわめて短い余暇だとしても、労働者なら困ることはないのだから。Th = H・バロー『幸福な労働者になるために』(一八五〇)
もしかして喧嘩売ってます?
こうした珍説・愚説が七〇〇ページ以上にわたって、延々と記されています。
まあ、辞典ですからね。
深く考える本ではありません。笑って流せればそれでOKです。
Amazonのレビューに「トイレのお友に」的なことを書いているひとがいますが、まさにそんな感じで読める本なのです。
でも、なぜ歪曲したり、すっ飛んだりした考え方をするのかメタ分析(考えることを考えるみたいなこと)してみても面白いかもしれません。わたしがひとつ思うに、結論を出さなくていいことに無理に結論をつけようとすると、上記のような珍説・愚説が生まれてしまうように思いますね。
ちなみに、わたしは「と学会」が出している一連のトンデモ本紹介も大好きです(以前よりも出版はされなくなりましたが)。「パソコンのフロッピーディスクドライブに植木の写真を挿入したら、パソコンが植物の言葉を理解した!」とかまじめに発表しているひとが世間にはいるのです。
ふたりいる著者のうちのカリエールですが、この方の本業は脚本家。
フィリップ・カウフマン『存在の耐えられない軽さ』や大島渚『マックス、モン・アムール』の脚本を書いたのはこのカリエールです。
ものすごい読書なのか、何年か前にはウンベルト・エーコと共著で『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』という本などを発表しています。こちらも本に関する雑学がたくさん入っていてすごく面白かったです。
いろんな立場にあるひとびとの言説がネット上に溢れかえる世の中です。
間違っている点を追及し目くじらを立てるばかりでなく、珍説・愚説としてあえてこういうかたちでまとめ、ふところ深く受け止めてあげるのもいいかも知れませんね。
21世紀版『珍説愚説辞典』を作ってみようかな……(ボソ)。

- 作者: J.C.カリエール,G.ベシュテル,高遠弘美
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2003/09/20
- メディア: 単行本
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