【 本 】報復の連鎖。その恐ろしさと虚しさ-『標的は11人』
ときに1972年。
PLO過激派の「ブラック・セプテンバー」が、ミュンヘン・オリンピック選手村を襲撃、イスラエル選手団11名を殺害。
これに激怒した当時のイスラエル首相ゴルダ・メイアのくだした判断。
報復。
イスラエル諜報組織モサドはただちに暗殺チームを編成、テロリスト指導者たちの暗殺を開始。ここに血で血を洗う報復合戦が幕をあけたのでした。
今日はその暗殺チームを率いた男への取材を元に書きあげられた『標的は11人』をご紹介します。
映画『ミュンヘン』の原作でもあります。
1960年代に武装闘争を繰り返していたPLO(パレスチナ解放機構)は、そのあまりの乱暴ぶりに拠点にしていたヨルダンから追放されます。
追放の際、ヨルダン政府とのあいだで戦闘になりました。これが9月に起きたことから、戦闘は「黒い9月(ブラック・セプテンバー)」事件と呼ばれ、さらにこの名称が過激派組織の名前へ引き継がれることに。
テロ組織・ブラック・セプテンバーは1970年代前半に数々の事件を起こしますが、そのなかで最も世界の耳目を集めたのがミュンヘン・オリンピック事件でした。
ブラック・セプテンバー8名がオリンピック開催中の選手村に侵入、イスラエル選手を人質に取り、イスラエルで捕まっているパレスチナ人や日本赤軍などの解放を要求。
しかし、西ドイツ政府は交渉を拒否、結果として、イスラエル、ブラック・セプテンバー双方で20名近くにものぼる犠牲者を出すことになりました。
これだけの大事件が起きたにも関わらず、翌日にはオリンピック競技は再開。ソビエト連邦は50個、アメリカ合衆国は33個の金メダルを取り、オリンピックは閉幕したのでした。
何人殺されようが所詮ユダヤ人はこの程度の扱いだと激怒したのが、イスラエル首相ゴルダ・メイア(女性ですよ、念のため)。
彼女は、絶対に泣き寝入りしないと決め、「オペレーション・ラス・オブ・ゴッド」、日本語で「神の怒り作戦」の発動を決意。暗殺すべきテロリスト指導部11名(ユダヤ人犠牲者と同数)をリストアップ、モサドによる作戦の遂行を承認しました。要するに、報復。
もちろん、公式にはこの決定を否定していますが、ときの最高権力者の裁定もなしにこのような国際的非難を免れない作戦が行われるはずもなく。
暗殺チームのひとつを率いたリーダー・アフナーは、殺ったら殺りかえすという、そのあまりに凄惨なミッションに嫌気がさし、アメリカに亡命。そこで本書の執筆を著者ジョージ・ジョナスに依頼します。
物語はアフナーが、大学を卒業し、モサドに入局、訓練を受けるところから始まりますが、そこはひとまずカット。
長期の暗殺行は、決してひとりで行えるようなものではなく、そのためのチームを必要とします。
文書偽造担当のハンス
爆薬担当のロバート
自動車担当のスチーブ
そして、“スイーパー” のカール
アフナーを含むメンバーたちの名前は、もちろん仮名です。
この物語にリアリティを感じたのは、最後のカールの存在。
スイーパーは日本語に訳せば「掃除屋」ですが、対象を「片付ける」という意味の暗殺担当ではありません。暗殺が行われた現場に最後までとどまり、そこに残された物的証拠を回収するのが任務。つまり、暗殺者以上に危険な立場に置かれるのです。
死体の始末屋なんて話は小説や映画によく出てきますが、暗殺のあと片付けという発想はわたしも初めてです。
5名の一行は、リストに名前が乗ったテロリスト11名を暗殺するため、欧州を転戦します。
あるときはローマで、アパートのエレベーター前で射殺。
あるときはパリで、部屋の電話機に爆薬を仕掛け爆殺(実際には、負傷一ヶ月後に死亡)。
また、あるときはキプロスで、ホテルのベッドに爆薬を仕掛け爆殺。
映画『ミュンヘン』では、ターゲットの娘を間違えて殺しそうになり、暗殺者たちが泡食うシーンなども創作されていました。
第三者を巻き添えにしないことが彼らにとっての仁義ですが、ミッションの遂行には無関係な一般市民をも巻き込んでいきます。
その後も、再度パリ、ベイルート、三度パリで暗殺を繰り広げていくチーム。しかし、報復は報復を呼ぶという言葉が現実のものとなります。
チームのひとりがハニートラップに引っかかり、殺されます。すぐさま、アフナーたちは殺し屋を見つけ、殺害。ところが、そのあとも事故で爆死、報復かどうかわからない状況で刺殺、といったかたちでメンバーの数を減らしていきます。
ひとを呪わば穴ふたつ。
こうなると、事故なのか他殺なのか、次は自分が殺される番なのか、もはやすべてが疑わしい。アフナーは心身に変調をきたします。上層部の判断により、ミッションの即時停止が決定。
11名中8名殺害。メンバー3名死亡。無関係な市民をも巻き添えにした2年弱にわたる暗殺行がここに終わります。
三年前、もはやメンバー最後の生き残りとなったスチーブがアフナーに言った言葉がありました。
「だけど、心配ないさ」スチーブはそこでひと息入れ、急に子供っぽい笑顔になって言った。「あんたとおれだけは生きて帰れる、そういう気がするんだよ」
アフナーは三年越しに、その言葉に対する答えを言います。
「とにかく、君はたった一つだけ間違っていなかったね。二人ともまだこうして生きてるよ」
1970年代は、テロの季節。
世界中のいたるところでテロが起きました。日本でも、よど号ハイジャック事件、三菱重工業本社ビル爆破事件などがありました。不意打ちを食らった側は、態勢の立て直しを図るとともに、テロ勢力の掃討に打って出ます。それがさらなるテロを誘発するという悪循環。
時代はその当時から半世紀になろうかというのに、シャルリ・エブドやらダーイシュやら、事態は相変わらず鎮静化の様相を見せません。報復を行なう側からの視点で描かれた本書は、血で血を洗うことの狂気をわたしたちに教えてくれます。アラブとイスラエルの闘争の凄まじさ、虚しさを通じて、やったらやりかえすという国際政治のありかたについて考えてみませんか。
英語には、“Vengeance” と “Retaliation” の言葉があり、解説者によると、前者は私怨を晴らす意味(つまり、復讐)、後者は法的概念を含んだ罰を与えるという意味(つまり、報復)でそれぞれ使うそうです。本書の原題は『Vengeance』。著者であるジョージ・ジョナスは、そうした意味を念頭にこのタイトルを選んだのでしょうか。果たして。

標的(ターゲット)は11人―モサド暗殺チームの記録 (新潮文庫)
- 作者: ジョージジョナス,新庄哲夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1986/07
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 20回
- この商品を含むブログ (55件) を見る