Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【創文メモ】説明と描写の違いをかっちり説明します、説明できます

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本日の内容は、わたし自身の備忘録ともなっておりますので、普段以上に乱文乱筆になっています。本文では自信ありげに書いていますが、「説明」と「描写」の違いは、なかなかどうして難しい問題です。わたしの理解が及んでいない部分やわかりにくい部分がありましたら、ご教示・ご指摘いただけると幸いです。説明・描写の問題は、お互い早々にクリアーしましょう(^ω^) 

 

 

 

物語を書き出すと、結構悩むことに「描写」と「説明」の問題があります。どうしたら説明で、どうしたら描写なの? そんなことでネットの海をサーフィンしまくった方も多いと思います。でもって、そうして行き着いたサイトにも「説明と描写ははっきりわけられません」なんて絶望的なことが書いてある。

 

一応、このケースは「説明」、このケースは「描写」なんて対比させた例文が紹介されてたりもしますが、それすらも納得できる場合と主観にしか思えない場合がある。「説明」と「描写」は、なかなかに厄介な問題です。

 

たとえば、「彼は怒った」という文章を「説明」だとするサイト。「彼は怒りで蒼白になった」とか「彼はまなじりを決した」とかに言い換えることで「描写」になると説明します。んー、確かにそうとも言えますが。

 

みんなの気持ちを代弁すると、彼が怒ったようすを描いているのだから「彼が怒った」だって描写じゃないの? でも、確かに、「彼はまなじりを決した」のほうが、「彼は怒った」より描写っぽい? 語彙をふんだんに使えばいいの? 上品な表現に変えればいいの? 彼の心理描写を加えればいいの? やっぱ、よくわからん!!!

 

こんなところではありませんか?

 

わたしの結論、「彼は怒った」という文章は「説明」です。「彼は怒った」を英語に訳したとき、「He gets angry」となります。これは、第二文型「SVC」です。この文章の場合「S(主語)」と「C(補語)」は同格、すなわち「S = C」だとわたしたちは中学英語で習いました。「彼 = 怒る」ということですね。「He is angry(彼は怒っている)」にしても文型は変わりません。

 

「He is very tall(彼はとても背が高い)」や「Japan has become a major economic power(日本は経済大国になった)」などの文章も「SVC」の文型です。こういう「S は C である(になる)」という文型は「命題」という正誤を問う論理問題で用いられるものです。

 

「C(補語)」を必要とする動詞を不完全動詞といいます。
これには、be動詞(is、am、are)、appear、become、come、fall、feel、get、grow、keep、lie、look、prove、remain、seem、sound、turn などがありますが、ざっくり「である、になる、に思われる」に意味を集約できます。

※「3-1 基本五文型」を参考。

 

つまり、説明くさい文章とは、英語に直したとき、おおむね命題文型「SVC」とともに不完全動詞を使っものを指します。もともと、真理値「正/誤」を問う文型なのだから、読者がこの手の文章に「説明ぽっさ」を感じるのは当然なのです。これ以外にも説明くさい文章には特徴があります。それは次にご説明します。

 

「説明」を英語で言うと「explanation」。「plane(平面)」を「ex(おもて)」に出すというのが、その語源です。要するに、日本語で言うところの「平たく言えば」というのが「説明」の本質なのです。

 

ですから「説明」に何が求められるかといいますと、それは「簡潔さ、論理性、客観性」。ビジネス文書で必要とされるものですね。「簡潔さ、論理性、客観性」が求められるゆえに「説明」を意図した文章には、以下のような特徴が存在します。

  • 命題形式(A はB である)
  • 論理を示す語彙
  • 数値を用いる
  • おおむね短文

「命題形式」についてはうえで説明しました。

 

論理を示す語彙ですが、これは「だから、なぜなら、したがって、結果として、~ので、~から、~せいで」などのたぐいです。つまり、これらの語彙を用いると、文章のなかに原因となる要素、結果となる要素が自動的に発生、因果関係を示しますので、これは文章が理屈っぽくなります。 

説明)昨夜、深酒をしたので、今朝は二日酔いだ。

この文章を「描写」っぽくするには、「ので」を取るだけでもらしくなります。

描写1) 昨夜、深酒をした。今朝は二日酔いだ。

しかし、後半が「命題形式(わたしは二日酔いである)」ですから、こちらも手を加えてみましょう。

描写2)昨夜、深酒をした。目を覚ますと、後頭部に鈍い痛みを感じるし、口の中を生臭さが満たしている。二日酔いか。

 

もういっちょ。

説明)電車が遅延したせいで、学校に遅刻した。

こちらは「せいで」を削っても「電車が遅延した(SVC)」「(オレは)遅刻した(SVC)」がそのまま命題形式として残ります。ですので、抜本的に手を加えるなら、

描写)電車が遅延した(SVC)。長く音楽を聴けた(SVO)代償として、オレは朝っぱらから全身に大汗をかく(SVO)。学校までの道のりを脇目をふらず、脇見をせずに駆けた。遅刻の事実は揺らがなかったが(SVC)。

いかがでしょう。あいだに、「説明」以外の文章を加えると、途端にそれらしくなりますよね。どれだけ文章に手を加えても、「命題形式」を根絶することはできません。それをやってしまうと、逆にものすごく不自然な日本語になるでしょう。

「説明」の多用がまずいのであって、「説明」自体が問題になるわけではありません。「説明(SVC)」と「描写(SVO)」が文章のなかに混在することは、うえの例文でご理解いただけたと思います。

なお、文中にあらわれた第三文型「SVO」については、最後のほうでご説明します。

 

こちらは、あるサイトで紹介されている文章です。

ここは学校です
昼間騒がしい学校も放課後は静かです。
窓から校庭が見えます。
白いボールが落ちています。
鉄棒の影が長く伸びて見えます。

 ※「小説の書き方(説明と描写)」から引用。

こちらのサイトの執筆者の方は

・・・・なんとも味気もそっけもない箇条書きですが、説明文とはこういうものです。情景の説明を具体的にそのものズバリ書いています。

という説明を与えていますが、なぜこれが説明文なのかはもうお分かりですね。すべて命題形式で記されているからです。

 

Here is school.SVC
Though during the daytime it's noisy, afterschool is silent.SVC
The ground can be seen from a the window.(SV 第一文型)
White ball is on the ground.(SV 第一文型)
The shadow of horizontal bar is long.SVC

 

情景描写は、どういじくりまわしてもなかなか「SVC」以外のかたちでは表現できません。ですから、「見る、聞く、匂う、感じる」などの知覚動詞(主観)や凝った形容詞を用いながら説明する工夫が必要とされます。

 

また、うえの英文に出てきた第一文型「SV」もシンプルな文型ゆえにそっけないので、つなげて使いすぎると説明くさくなります。その例を以下の文章で見ていきましょう。 

説明(くさい or ぽい)文
  宏は、交差点まで走ると立ち止まった。
 信号が赤だったためだ。宏はイライラながら、信号が青に変わるのを待った。
 信号が青になると、宏は再び走り始めた。

描写文
「なんてこった!」
 宏は立ち止まると、赤信号を、憎らしげににらみつけた。
 信号から目をそらすと、車の流れに合わせて首をせわしくふる。
 流れが途絶える気配は無い。宏は舌打ちをして、再び信号を見上げた。
「早く変われよ!」
 青になった。宏は再び走り始めた。 

※「作家でごはん!創作意見室「描写ってなんですか」」から引用。

 

 「 宏は立ち止まった(Hiroshi stopped)」や「宏は走り始めた(Hiroshi began to run)」が第一文型「SV」に当たります。これらが「描写文」ではどのように変更されたでしょうか。一気に「宏」の行動に関する記述が増えました。

「赤信号をにらみつけた。」
「目をそらす」
「首をせわしくふる」
「舌打ちをして」
「信号を見上げた」

これらはすべて第三文型「SVO」。覚えていますか? 「S(主語)+V(動詞)+O(目的語)(S は O を V する)」。つまり、ひとの行動を「説明」ではなく「描写」しようとすると、第三文型「~を~する」になるということです。

ただ、「SVO」の文型を用いるからといって、「世界がオレを見る」とか「運命が彼女を鷲づかみにした」みたいな「無生物主語文」は描写になりませんから、注意。これは描写というより、むしろ擬人化を用いた比喩です。日本語は英語などに較べ、そもそもひと以外のもの(無生物)が主語になる機会が少ない。この手の文章を多用すると、ちょっとナルシスティックな自己陶酔した印象を読み手に与えます。

文型の変更以外にも、「信号が赤だったためだ」「信号が青になる、宏は再び走り始めた」といった論理を示す語彙を削るために短文にしたり、「なんてこった!」「早く変われよ!」といった主観を示す独白を盛り込んだりしています。

 

ビジネス文書の場合、読むひとが誤解をしないために「簡潔さ、論理性、客観性」を心がけなければなりません。そうすると、まず知覚動詞「見る、聞く、匂う、感じる」のたぐいを使うことができなくなります。これらは主観ですから。

さらに、主語で指示された対象(S)がその説明を示す補語(C)と同格である「S = C」、すなわち「SVC」という文型は(理論的には)主観の介入する余地がありません。ですから、客観性を必要とする文章、報告書などには、この「SVC」が好んで用いられます。

小説が「SVC」の文型を多用すると、物語は貧弱になります。客観性が強固になりすぎて、読者の解釈を排除するからです。これが「説明過多」ということです。状況だけがひたすら積み上げられていく報告書のような物語になってしまいます。小説は作り手が50%、読み手が50%、お互いの想像力を出し合って完成させていくものです。「説明」を最低限にし、「描写」を増やすことで、読者もまた物語の世界に介入することが可能になります。