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Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【 本 】今日、あなたの頭上に振りかかるかもしれない悪夢-『夏の災厄』

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それはインドネシア近くの島でひっそりと始まった。
兆候は少し前からあった。
鳥の鳴き声が島から消え、やがてそれと入れ代わるように奇病があらわれる。
子供たちは、島を訪れた医師たちによってどこかへ連れ去られていた。

閉めきった家々の戸口から、鼻をつく臭気が漏れてくる。どこの家にも瀕死の家族がいる。たいていは激しい頭痛と高熱にあえぎ、痙攣を繰り返しながら、確実に死に向かっていく。そして起き上がれる者は痛む頭を抱え、砂上に嘔吐しながらも、水を組みにいく。

 

最後に残った女も、

すでに起き上がる力は残っていない。目を覆うこともできずに、プスパはかすかな吐息を漏らした。ゆっくりと瞼が開いていった。もはや眩しさを感じることもなくなった眼球はたちまち熱い風に乾き、数匹の蝿が寄ってきた。
島の人口はゼロになった……。

 

衝撃の幕開けから物語が始まる『夏の災厄』。

かつての日本にも伝染病が数多く存在した。
しかし、それらも今では医療研究者たちのおかげで多くが下火になった。
具体的に言えば、ワクチンのおかげである。

ワクチン(独: Vakzin、英: vaccine)はヒトなどの動物に接種して感染症の予防に用いる医薬品。毒性を無くしたか、あるいは弱めた病原体から作られ、弱い病原体を注入することで体内に抗体を作り、以後感染症にかかりにくくする。弱いとはいえ病原体を接種するため、まれに体調が崩れることがある。(Wikipediaより)

 

だが、ワクチンに対して、副作用やその予防効果の是非、あるいは希釈してはあるけれど病原体をわざわざ体に取り入れることから、一部には反対意見も根強い。

そのことについて、辰巳医師は言う。

「病院が一杯になって、みんな家で息を引き取る。感染を嫌う家族から追い出された年寄りたちは、路上で死ぬ。知っておるか、ウイルスを叩く薬なんかありゃせんのだ。対症療法か、さもなければあらかじめ免疫をつけておくしかない。たまたまここ七十年ほど、疫病らしい疫病がなかっただけだ。愚か者の頭上に、まもなく災いが降りかかる……。半年か、一年か、あるいは三年先か。そう遠くない未来だ。そのときになって慌てたって遅い」

 

彼の予言めいた言葉通り、未知の奇病が埼玉県のある地域に発生。
次第にその被害を広げていく。

患者を収容した病院が的はずれな診断を下しているあいだにも、患者は増え続ける。
のたうちまわった挙句に死ぬか、一命をとりとめても脳に重度の後遺症が残り、寝たきりになってしまう。
そのうちに、豚を飼育する業者の豚舎が病原菌をまき散らしているという風評も起きてきて、ついには放火という過激行為に踏み切る者まで出てくる。

本当に伝染病なのか。
被害が小さいうちは行政も医療関係者も医薬品メーカーも重い腰を上げない。
金がかかるからだ。
市役所の係長は厚生省に対応を問い合わせるが要領を得ない。

「国も県もよ、考えていることは一つだ。患者も蚊も鶏も豚も、ここに閉じ込めたいんだ。俺たちが何人死のうが関係ない。ここだけで流行っているうちはな」

 

これが憲法で「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とされた国で起きることなのか。

デッド・エンドへと追い込まれてゆく、市の職員たち、心ある医療従事者たち、そして市民たち。
迷走の果てに光は見え得るのか。

いつ、この『災厄』がわたしたちに訪れても、何ら不思議はない。
そのとき、わたしたちは、この物語の登場人物たちのように振る舞うしかないのだろうか。
もしそうだとしたら、あまりに悲しく、滑稽で、黒い笑いがこみ上げてくる。

文庫本にして600ページに及ぶ、綿密な調査のうえに成り立つリアリティを持った作品。

真夏に読み、この世界の裏に伏流する薄ら寒さを味わって欲しい。

 

オススメです♪

 

篠田節子先生は、この手の社会問題に切り込んだ作品が多く、読みながら、唸らされます。

 

夏の災厄 (文春文庫)

夏の災厄 (文春文庫)