Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【だいあり】(リライト)blue moment プリティモードスペシャルダンスMV、画像大量追加

///今度『えとたま』がキッズ向けの番組として復活するんですって? さくらたんはなにげに『えとたま』大好きっ子なのです。

 

///その記念ってわけじゃないんですが、過去記事のリライト。プリティモードスペシャダンスMVの画像をたくさん追加っす! そういや、こちらのCGも『シン・ゴジラ』のCGを担当した白組。

 

 
注)YouTubeでは、途中までしか見られません。

 

///この「blue moment」、わたしのなかでは神曲
なんでもっと流行らなかったんだろう、露出が足りなかった?

 

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【 本 】ママ、僕もはやく大人になりたいなあ♪ -『ヤギより上、猿より下』

///前作『デブを捨てに』からほぼ一年半ぶりの新作。待ち遠しかったあ! 早くしないと、体の平山エキスが底を尽いてしまう。今じゃ、わたしの読書傾向をビッグデータやらナノマシンやらで把握しているAmazonが「新作出るぞ、早く予約せいやーっ!」とプッシュしまくってきます。忘れたくても忘れられない。ありがたいことです。

///発売日のその日のうちに買い求めた新作はその名も『ヤギより上、猿より下』。うーん、何て魅惑的なタイトルなんでしょう! 何を言っているのか、さっぱり意味が分かりません! 平山先生、頭、大丈夫でしょうか。このくらい内容を先読みさせないタイトルもそうそうありません。いやいや、これでも先生の本はほとんど読んできているので、ゲスいンだろうことは感覚的に伝わってくる。

///帯には、男の子のマンガチックなイラストが描かれ「どうぶつ好き、あつまれ~!」なんて吹き出しがある。え? もしかして今回に限って、ファンタジー? 子供向け? そんな〈不審〉を感じつつ本を裏返すと、そこには大きめのフォントで、
「てめえら、すっ殺すよ!」
「いいかい! あんたら全員、ヤギより上、猿より下なんだよ!」
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
 これぞ、平山節! 今回もわたしの期待は裏切られなかったようです。

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※〈最悪劇場〉の文字もありますねwww

///読み始めたら、ノンストップ、一気呵成です。どうしてこんなへんてこな物語で、しかもゲスいものがあとからあとから作れてしまうのか、わたしのような凡才にはとうてい理解できません。ただのデタラメならわたしにだって書ける……と思う。でも、平山先生の作品は、語り口の毒々しさ、急展開する構成、逃げ場のない絶望感、どれをとってもとにかく圧倒的です。わたしもたいがいいろんな作家の本を読み散らかしていますが、平山先生は今の日本ではトップクラスに入るストーリーテラーであると、確信しています。

///毎度、作品で異彩を放つのは登場人物たちの名前。今回も、例えば、大高のババ、芋美、チョーヅカ、フライス、エンジン、コーキー、ロハンなんて連中があらわれる。これを眺めているだけでもわたしはクスクス笑いが止まらない。西尾維新さんのネーミングに匹敵する面白さがありますナ。

///本書は4つの短編を収録。表題作品はこのあとご紹介しますが、それ以外は、『パンちゃんとサンダル』『婆と輪舞曲』『陽気な蝿は二度、蛆を踏む』。なんだこれ。なんにせよ、読んでみないことには、何の予断も先入観も許さないタイトルばかり。

///さて、『ヤギより上、猿より下』ですが、その舞台となるのは「ホーカーズ・ネスト」。日本語に訳すと「淫売の巣」、要するに売春宿のこと。主人公は、そこに売り飛ばされた、火傷した豚よりもブスな十歳の少女。初っ端の設定から、超差別、児童福祉法違反全開。なんなんでしょーか、これは(笑)冒頭、少女が売春宿に連れてこられるシーン、ホーカーズ・ネストのオバチャン、お父ちゃん、少女の会話。

『あんた名前は?』『まーがれっと』『はあ? ほんとかい? あんた、そんな名前をこの豚の尻に付けたの?』『付けたのは死んだこいつのおふくろさ。昔、好きだった少女雑誌の名前らしいぜ』『うちじゃ、そんな名前は許さないよ』『あんたのもんだ、勝手にしな』『好きなものはなんだい』『おかず』『あ?』『ご飯じゃなくて、おかず』『それでいいよ。あんたの名は今日からおかずだ』

こうして少女の名前は、めでたくおかずちゃんにケテーイ!!! もう、笑いが止まりません。直後、少女の語りで、

ネストの仕事は淫売です。淫売は、とても古くからある仕事だそうで英語のインバイテッドという言葉の元だとオバチャンは云いました。淫売とは姐さん達が股を開いて抱かれることです。でも抱いて貰うというのは正しくないのです。だって姐さん達は、ただ抱かれるわけではなく〈お客さんが目ン玉をヒン剥くような得意技〉を使うからです。

登場人物たちのドライさともたくましさとも、あるいは神経の粗雑さとも取れる会話のキャッチボール、いけしゃあしゃあと嘘八百を並べ立てる物語の運び。このくらい活字でゲラゲラ笑える作品ってなかなかお目にかかりませんよ。

///おかずちゃんの視点によって物語が進むせいで、ともすれば陰惨になりがちな物語が、どこか浮世離れして、ユーモラスに読めてしまいます。ナレーションに誰をもってくるかというこのあたりの工夫も絶妙です。

///ホーカーズ・ネストには、姐さん格にあたる3人の淫売婦たちが居るのですが、その名前もおかずちゃんに負けていない。〈つめしぼ〉〈せんべい汁〉〈あふりか〉……もう狂気のとどまるところを知りません。彼女たちは淫売婦としてはかなり年齢も上で、かつては通い詰めていたお客さんもひとり減り、ふたり減り、商売は上がったり。このあたりの設定が物語に次々と問題が持ち込まれる呼び水になっています。

///客足が減ろうとも、上位組織に上納金を納めなければならないオバチャンの苦悩は深い。そうしたときに、上層部が新戦力をおしつけて送り込んできます。そのニューフェイスこそ、ヤギの〈甘汁〉とオランウータンの〈ポポロ〉。え? 何を言ってるか分からない? 動物のヤギとオランウータンが売春宿の危機を救うためにおしつけられ送り込まれて来たわけですよ。売春宿と動物、ああ「どうぶつ好き、あつまれ~!」ってそういうことですか……ゲス度全開、クライマックス!wwwww

///ヤギとオランウータンと売春婦というあり得ない顔触れが揃ったお店には、あたりまえのプレイでは飽き足らない、〈ど・アブノーマル〉な客たちが押し寄せる。そんな平衡感覚をうしなった世界に、いよいよダメ押しの事件が勃発。狂った登場人物たちと狂った物語の結末はどこへ向かって突き進んでいくのか? おかずちゃんもメモを読みながら「うへへへ」「がんす」「ぐっふふ」と、とんとご無沙汰のお客さんにセールスの電話をかけさせられる。「モラルとは?」「人権とは?」なんてどこ吹く風ですね!

///家庭内暴力に追いつめられていく小学生の決断を描く『パンちゃんとサンダル』、十年前に失踪した娘の行方を追う〈ババ〉と主人公の男、その意外な結末『婆と輪舞曲』、殺し屋が狙うターゲットの真相とは、『陽気な蝿は二度、蛆を踏む』。

///どの物語もエキセントリックで、展開が読めない。でも、それだけでは読者を惹きつけるには弱い。登場人物たちは、暴力的で異常な状況に追い込まれても、最後まで抵抗することを諦めない。そういう姿勢があるからこそ、読んでいるひとはあまりに救いのない物語の中にも、ささやかな光明を見出し、ついついページを繰ってしまうんだと思います。

///本作を読むと、物語ってここまで自由で良いんだという発見になります。本書は、創作する際の〈模範的〉な手本になるでしょう。ただ、内容があまりに非模範的、非人道的、非社会的なので、そこは腹を括ったうえで読んでいただきたい。熱帯夜を涼しくする怪談としてもオススメかも? 

ヤギより上、猿より下

ヤギより上、猿より下

 
デブを捨てに

デブを捨てに

 

 

【だいあり】難航ののち就航。時津風、荒潮、白雪、朝潮。

///人生で2枚目に手がけた作品の発表でーす。無謀にもほどがある。ぜんぜん可愛くなかったら、責任感じちゃいますからナ、やっぱり。どんなもんでしょーか???

///でも、左右を間違えたの。アホや、ワイ。

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///一応、ダメ押しの解説。時津風ちゃん。このイラストの時津風ちゃん、特に可愛いっ、妹にしたいっ!

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///お次は、荒潮ちゃん。美人さんだね~♡ 大きくなったときが楽しみだよ。

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///ちょっとマニアック? 白雪ちゃん。三つ編み、カットすれば良かったーーーごめんよーーー(核爆反省)。

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///ラストは、改二になって人気急上昇の朝潮ちゃん。少しだけ吊り目が悩殺ものです。肘当てにニーソと同じ色気を感じます(変態?)。

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///最後にオリジナルの画像をアップしておきますね。ご参考までに。

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艦隊これくしょん -艦これ- 艦娘型録 弐

艦隊これくしょん -艦これ- 艦娘型録 弐

 

 

【雑 文】※ネタバレあり。 ゴジラの感想だよ、よかったらお目通しください ( ^ω^ )

※乱筆乱文、ご容赦を (^o^;)

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物語を推し進めるちからとは、ひとの心のなかに口を開ける虚(ウロ)、すなわち不足である。

ひとは自分に足りないものを追い求め、異郷に旅し、それを獲得し得たことで成長の証をたて、しかるのちもとの故郷へ帰ってくる。これが物語の基本フォーマットである。

ある作品のあとがきで西尾維新は書く。「『たったひとつだけ願いが叶うとしたら?』というのは、誰もが一度は考える問いだとも思いますけれど、結局そういうときに問われているのは、『何を望んでいるか』ではなく、『自分には何が足りないか』なのかもしれません。足りないものを欲することこそ、人の業ですか?」

不足が物語を生みだすための駆動力であると同時に人の業であるのなら、つまるところ、ひとがこの世に生まれてくる意味とは、不足を充足させるための物語をしたためる一点に求められるだろう。ひとの一生とは一連の経過報告書を書きあげることだと言い換えてもよい。

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映画『シン・ゴジラ』には、そのような物語が存在しない。

ゴジラの出現に予断と臆見が飛び交い、政府の首脳陣は揺れる。ミドルを代表する主人公は苛立ち、仲間たちは彼を支える。外国は威圧的に介入を画策し、大衆は逃げ惑う。

作品を鑑賞したひとは気付いただろうか。彼らはだれひとりとして、守るべき妻や子、恋人についての描写をもたない。この作品には、人間ドラマがない。意図的に除外している。

本来、ひとがもっとも切実な不足として抱え込むはずの他者に関する記述がこの作品からはすっぽりと欠落している。なぜかという問いには、次のように答えるしかない。

日本には〈人間〉がいないから。

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その代償として、登場人物たちにはほかのものが与えられる。物語を駆動させるためのトリガーたる不足、それが〈東京〉である。すなわち、中央を意味するものであり、行政と経済の揺るぎなき根幹であり、抽象的、現実的両位相において日本と同義と見なされる東京である。東京が滅ぶとは、すなわち日本が滅ぶことにほかならない。

ひとたび政治的決断を要する問題が出来すると、身近なひとびとへ注ぐまなざしが失われ、無限のイデオロギー論争へと執着する日本人の姿勢。人間の本来的な生活が喪われ、記号の意味に記号の意味を塗り重ね、言葉が信号となって、電線のなかを、電波のうえを飛散していく東京。表徴の帝国。まさにロラン・バルトだ。

戦後七〇年間、現実を遊離した虚構のなかにあくせく生きてきた日本人。そこへゴジラという名の、もうひとつの、しかもより強大な虚構が襲来する。マイナスにマイナスを掛けるとプラスになるように、この大掛かりな虚構はようやく日本に現実の相貌を引きずり出す。ゴジラの仕掛けとは、日本人の虚構性を剥ぎ取り、東京を満たしていた真空を明らかにすることなのだ。やはりロラン・バルトだ。

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作品のなかを飛び交う難解な行政用語や煩雑な行政手続き。あるいは、官僚たちの日常風景として繰り出される、立て板に水の調子の会話。これらはすべて、ゴジラという虚構を前にして明らかとなった大いなる虚(ウロ)を満たすために注ぎ込まれる呪言なのだ。

平時、東京を埋め尽くす神経症的かつ大量生産された空疎な言葉たちもまた空っぽな東京をそれと知られないためのアリバイにすぎない。

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ひとが抱え込む不足にはいくつか種類がある。

成長を志向する不足もあれば、平穏な日常生活を脅かす、災害のような引き算としての不足もある。これらは取り扱いを間違えなければ、ひとが前へ進むための足がかりとちからを与えてくれるものである。

一方で、虚無としか言いようのない不足がある。自分の生活が何に立脚しているかを忘れ、ただただ虚構に戯れ、抽象論争に明け暮れる日々のことである。ここには生きる意味が毀損されている。

今の日本全体を覆っているのが三番目の不足なのだ。記号に記号を積み重ねることで、何かを作り上げた気になっている。政治家、官僚ばかりがあげつらわれるが、大衆もまた共同正犯を免れない。そこへ災害のメタファーであるゴジラが虚構としての不足を併せ携えてあらわれたことは上に書いた。

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突如として持ちあがった現実にうろたえていた登場人物たち。しかし、途中からそうした現実へ果敢に取り組む者たちがあらわれる。これが軍隊である自衛隊と組織のはぐれものたちを招集した巨大不明生物特設災害対策本部、「巨災対」の面々である。

政治家や官僚も次第に現実への対処方法を覚えていくが、それよりも先行して柔軟に対応していったのが自衛隊と巨災対、世間擦れした言い方をするならオタクの面々なのである。

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前者は常に現実を心掛けた活動をしている。軍隊が理想や掛け声、予断、楽観で動いたときにどういう顛末に陥るか、日本人はとくにそのことを先の戦争から肝に銘じているはずである。

一方、巨災対の一匹狼の面々は、現実への無頓着さが売りなのだ。現実に呑まれることを毛嫌いし、一歩身を引いた位置から静観することをみずからのスタンスにした者たちだ。平時においては、そうした態度が周囲に違和感を抱かせ、浮いてしまう存在。だが、ひとたび有事ともなれば、虚構にすがって暮らしてきた一般大衆よりも現実への適応能力が高い。

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自衛隊と巨災対。一見、両者は水と油のごとく人間の資質において、真逆にあるように見え、その実、現実を見据える冷静な視線においてはまったくの似た者同士なのである。つまり、有事において、活躍するべくして活躍しているということだ。

建前上、軍隊が存在しないとされる日本において、自衛隊は虚構の組織と言えるだろう。

一方で、平時に現実とされるものと折り合おうとしない巨災対の面々もまた一般人からは虚構の世界に生きる遊民と見なされている。

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そうした両者がもっとも現実に対する身の処し方を心得ている。ゴジラという有事が、現実と虚構をひっくり返した事例はここにもあらわれているのである。

ゴジラのキャッチコピーにある「現実対虚構」の意味は、なかなかにどうして奥が深いと言わざるを得ない。庵野監督の現実と虚構をさばいた手際、そしてそれをエンターテイメントに結実させたこれまでの実績。やはり、日本には稀有な才能である。

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シン・ゴジラ音楽集

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