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Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【 本 】凶悪事件の真相の「真相」?-『殺人者はいかに誕生したか』

殺人者はいかに誕生したか: 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く (新潮文庫)

 

犯罪は犯罪です。弁護する気はありません。
また、今回の投稿に絡めて『絶歌』の出版に対する意見を述べるものでもありません。

もっとシンプルに、本書を通じ、マスコミが喧伝する加害者の〈姿〉と〈実像〉のズレに戸惑いを覚えました。今までに抱いてきた価値観を揺さぶる一冊として『殺人者はいかに誕生したか』をご紹介したいと思います。

 

犯罪防止のための臨床心理 

著者・長谷川博一さんは、臨床心理士。長年、刑事事件における被告、要するに犯罪者の精神鑑定を行ってきた方です。本書に収録された犯罪者の名前をのちほど列挙しますが、ほとんどのひとが彼らの名前や起こした事件について何かしら耳にしたことがあるでしょう。

 加害者の最たる存在は、犯罪者だと言えるでしょう。十年以上前、虐待を受けたある子どもが、成長して少年犯罪に手を染めました。そして検察官送致され、刑事裁判で実刑判決が下されました。私は複雑な思いに揺さぶられました。その少年の育ちを知っているからです。幼い頃に気づかれ、助けられていたら、必ず被害者として「救われる側」にいたはずです。

長谷川さんは、犯罪、それも凶悪犯罪を犯すひとの多くに幼児虐待の傾向が顕著だと言います。犯罪者を擁護するのではなく、その虐待の部分にもっとスポットをあてる。そして、事実の因果関係を明らかにする。こうしたことの積み重ねがのちのちの犯罪を未然に防ぐのではないかと主張します。

 

世間を挑発する男・金川真大

本書で、彼が接見した犯罪者は以下の通り。

大阪教育大学附属小学校児童殺傷事件 宅間守
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 宮崎勤
大阪自殺サイト連続殺人事件 前上博
光市母子殺害事件 元少年
同居女性殺人死体遺棄事件 匿名
秋田連続児童殺害事件 畠山鈴香
土浦無差別殺傷事件 金川真大
秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大
奈良小一女児殺害事件 小林薫
母親による男児折檻死事件 匿名

 

犯罪者として知名度のあるひとびとが並びます。今日は、このなかから「土浦無差別殺傷事件 金川真大」についてご紹介しましょう。本書を読むまえとあととで、わたしの事件に対する印象が一番大きく変わったからです。

土浦連続殺傷事件 - Wikipedia

二人殺害、七人に重傷を負わせた、二日間に及ぶ通り魔事件。
事件の残虐さはもとより、犯行をまったく反省しようとしない、それどころか世間の憎しみを煽る言動を繰り返す金川が尋常ではありませんでした。当時、わたしもニュースを耳にするにつけ「何だ、このキ◯ガイ」と感じた記憶が残っています。

 彼が人々を驚かせたのは、取り調べや法廷で発した数々の理解しがたい言葉でした。
 殺人の動機については一貫して「死刑になって死ぬため」と言い続けました。法廷での「被害者の気持ちは考えないのか?」という質問には、
「ライオンがシマウマを襲う時に何か考えますか?」
 こう答えて、自分をライオンにたとえたのです。
「人を殺すのは蚊を殺すのと同じ」
 こんな発言も飛び出し、人としての情が欠落しているとしか考えられない持論を展開しました。

二回の精神鑑定で彼は「自己愛性人格障害」、いわゆる極度の自己中として診断されました。鑑定は鑑定として、長谷川さんは事件を引き起こすに至った金川の心の動きを探るべく、「十八回の手紙の交換と二回の面会」を行います。
以下は、その一連のやりとりです。

 

俺のことが理解できるかな!!

長谷川さんと金川を仲介する人物の助言があって、最初の手紙は金川のほうから届きました。最初に「おはこんにちばんは!!」とあります。長谷川さんは「読み手がどの時間に読んでもいいように配慮されていますね」と肯定的に返信します。

すると、金川は、

「よくぞこの挨拶の真意を悟りましたね! おそらく、あなただけでしょうね」

長谷川さんを承認するニュアンスを露わにしてきます。
長谷川さんはこの「あなただけ」という言葉に注目します。

これだけのことを「あなただけ」と述べることから、彼には理解される体験がいかに欠如していたかがうかがえます。

金川が他人や社会を挑発するとき、そこには一貫して、自分で自分のこころを否認する姿勢があります。しかし、一方で他人には理解を求めるというねじれがあると言います。虫がいいように聞こえますが、こうした気持ちは誰にもあたりまえにあるものでしょう。金川を初めとする犯罪者には、そのねじれがとくに強いようです。 

最初の手紙には、こんな文言もありました。

「常識に洗脳された人間に、俺のことが理解できるかな!!」

かなり挑発的です。
ここでもまた長谷川さんは「残念ながら私は常識的な人間ではありません」と相手と視線の高さを合わせようとします。すると、次の手紙で挑発はさらにエスカレーションします。

──あなたは常識に支配されてはいないと?
では殺人ができるので?
殺ったあとに罪悪感を感じない自信があるので?
殺人は悪ではないと?

長谷川さんが金川の関心を惹くために通り一遍の「模範解答」をしているだけではないか、試しているのです。長谷川さんはひとの命を奪ってはいけないという常識的な回答を避けます。自分がしたいことができなくなるから殺人はしない、という変則的な返事を書いたあと、エミール・デュルケムの学説を開陳します。

悪や犯罪は、法律があるから「逸脱」と見なされるものである。もし、別の規則や別の規準がある社会であれば、悪にも犯罪にもならないかもしれない。悪や犯罪は、それ自体が固有の性質をもつものではなく、社会に存在する規則や規準がそのように認定するのだ、というものです。

金川は、こうしたアプローチを続ける長谷川さんに協力してやってもいいという態度を表明します。

わたしは驚きました。上から目線であっても、マスコミが報ずるような極度の自己中心的性質を有する彼の口から協力を引き出したのです。

 

壊れた家族と執拗な否認

質問は、彼の家族についての話題に移っていきます。
ここは長いインタビューの記述があるのですが、結論から言うと、家族間の交流がまったくないことが判明します。家族に対する感情の希薄さは、金川の弟とふたりの妹にも共通しています。

「雰囲気が悪い」「バラバラ」「無関心」「誰が死んでも悲しくない」

全員が全員、家族の絆を否定し、金川自身も「普通です」と決して異常性を認めません。
本犯罪の異常さは、おもてに出た兇行に加え、家族の冷えきったありようとそのことを決して「異常」と認めない、さらには「普通」と言い切ってしまう、この隠れた点にあります。具体的に何があったのかは語られません。むしろ、一切が否定され、語られないことの異常さが突出しています。

彼の言動には「計画」や「判断」という言葉が頻繁にあらわれるそうですが、これも自分の負の感情を認めないなためにあえて理性的に振る舞おうとする態度だと考えられます。
都合の悪いことが起き動揺しているときに、それを認めまいとして「そんなことはわかっていた」とか「想定外も織り込み済みだ」とか虚勢を張ってしまう経験ってわたしたちにもありますが、金川はそれが人一倍強い。言い方を変えるなら、負の感情を一切認めない。 

そんな彼が好んだ言葉が坂本龍馬

「世の人はわれをなにともゆはばいへ わがなすことはわれのみぞしる」

だったといいます。こんなところにも他人に決してこころを開くまいとする彼のかたくなさが見て取れます。龍馬の歌の意味するところは違いますけどね。 

ある言葉から直感的に何をイメージするかを試す「言語連想検査」においては、極度に感情のない、なるべく物事を即物的に捉えようとする態度も明らかになります。「心」は「ハート」、「言葉」は「ひらがな」、「家」は「たてもの」、「傷」は「けが」といった塩梅です。

 

そして、シマウマとは……

こうして十八回に及ぶ手紙のやりとりが続きましたが、長谷川さんはついに「ライオンの心がわかった」と書き送ります。その答えは、

「金川真大こそがシマウマだった」
 彼がまだ弱い子ども時代に、たましい(感じる心)を殺されてしまったことを抽象的に記したものです。

最後の面会の日、これまでの経緯を踏まえ、長谷川さんは結論に至ったプロセスを金川に説明します。

以下の説明は、本文を読んだわたしがまとめたものです。本文にこの通り書いてあるわけではありませんので、念のため申し上げておきます。

家族関係に対してずっと孤独な思いを抱えてきた彼は、いつしかそうした孤独を覚える感情をなくすことで心の安定を図ろうとしました。しかも、孤独を感じるのは、自分が弱いからではなく、周囲がバカで、お互い理解し合えないからだという論理のすり替えも行います。決して自分に非があるのではない。弱さを隠蔽するために、「感じる心」を殺し、強者たるライオンにならねばという強迫願望を持ちます。そして、ついには虚構のライオンがシマウマである金川の「たましい(感じる心)」を食い尽くしたのです。自分に「感じる心」がないと周囲へアピールすることは、彼にとっては強さの誇示を意味します。決して弱みを見せず、虚勢を張り続ける。これが彼の一連の異常な言動の真因だったのです。

家族関係は、対人関係を育むための基礎ともなるもの。冷えきった家族しか知らない彼は、社会での人間関係構築にも失敗していたと思います。

 それを聞きながら彼は「そんな思いはありません」と言い切りましたが、その様子は以前とは明らかに違っていました。口元に引きつるような笑みを作りながらも、目は赤くなり、潤んでいる。そして前かがみになり、両手で足元(おそらく膝下あたり)をさかんにつねるようなしぐさを見せる。

金川はこうして最後まで「否認」の姿勢を貫きます。

その後、この文章が掲載された月刊誌の編集長宛てに彼の手紙が届きます。そこには相変わらず「否認」の文言が綴られていましたが、最後に意外な言葉がありました。

──俺の事件は、間違っている記録が “真実” として未来に残されます。(中略)裁判官も検事も鑑定人も、真実を見ようと、理解しようとしなかったのです。(中略)長谷川博一教授が検事や鑑定人だったら解明できたかもしれません。

わたしにはこの手紙が、ありきたりな言い方ですが、彼の魂の叫びに聞こえてしようがありません。自分の硬い殻が壊れる希望を見いだせたことへのシマウマのいななき。

 

何を真相とするのか

たとえば、強姦殺人事件があったとき、マスコミが取りあげる劣情や趣味の偏りといった表層的な部分だけに目をやるのではない。犯罪者の生い立ちをきちんと解き明かすことが被害者にとって、さらには犯罪者自身にとっても本当の真相究明になるのではないか。

これは懲罰の軽減を目論むものではありません。真相とは何かという、ある種哲学的なテーマとも言えるでしょう。例えの場合、わかり易い劣情こそが犯罪の真相なのか、その身勝手な劣情を育んだおもてには見えてこない家庭環境こそが真相なのか。

劣情だけで十分だからさっさと処罰しろという声ももちろんあります。しかし、理不尽な犯罪をなくしていくために、一罰百戒(わたしはこれを否定しません)とともに、育つ環境の劣悪さがどれだけひとのこころを壊していくかの研究は今以上に進むべきだと思います。

章末、金川の告白が、あらゆる犯罪者の倒錯した心を代弁しているように思えるのはわたしだけでしょうか。

──苦痛は、1秒忘れる。そのあと、また1秒忘れる。これを続けていくと、永遠に苦痛は感じない。どう、これ妙案でしょ?

 

金川真大以外にも、宅間守畠山鈴香、匿名のふたりなど、従来の事件の印象が少なからず変わりました。これまでの犯罪は、本当に深層にある真相に辿りつけていたのか。なかなかセンシティブな問題ですが、犯罪者を裁くという問題について考えたい方におすすめします。