Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【 本 】面白半分に心霊スポットをめぐるひとびとに怪異が忍び寄る-『祝山』

///ご自身、「幽霊」が見えてしまうのだという加門七海先生。幸いにしてというか、不幸にしてというか、わたし自身は一度も見たことがないんだけどね。見たことがないくらいだから、こうして怖い物語をみなさまにご紹介できるようなわけで。これ、実際に見えていたら、ひとさまの作品を紹介するんでなくて、自分の経験談を語ればいいというような話である。

///富士樹海の木の幹に「祝ってやる」と書いてある画像がネットに出回っている。おそらくは、自殺者が「呪ってやる」と書きたかったのに漢字を知らないものだから、終末の土壇場でピエロを演じてしまったという、笑うに笑えない代物。でも、実は、〈呪〉の文字は〈祝〉から派生しているので、同族関係にあって、まったく別物というわけでもない。

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///加門七海先生の『祝山』を書店で見たときも、オチはそんなところだろうと思った。要するに「祝山かと思った? 残念! 呪山でした! バーン!!!」ってなもの。ところが、どっこい、物語は意外な展開をたどる。一筋縄ではいかない。

///主人公は、小説家の鹿角南(かづの・みなみ)。彼女の友人とその仲間が心霊スポット巡りにはまっているといったところから物語は始まる。過日、友人たちはある心霊スポットへ足を運んだが、そこで撮影した写真におかしなものが写っていた。彼らはその写真を鹿角に見せ、霊障がないことの確約を得ようとする。だが、霊らしきものを多少見ることができても、彼らが期待するような除霊能力が彼女にあるわけではない。それに、怪談小説や恐怖小説を書くことを生業としていても、面白半分に、例えば肝試しのようにいわくつきの場所を訪れることを良しともしていない。けっきょく、写真を見せられても良いとも悪いとも言えないままにその場はお開きになってしまうが、その後事態は悪化の様相を示す……。

///決して長い小説ではないので、あらすじはこの程度に。じゃないと、全部を説明してしまいかねないからね。

///「祝山は呪山のケアレスミスでした」なんてしょぼいオチでないことはうえに書いた。そこでもうひとつの結末が物語のなかで開示されていくわけだが、なんとその元ネタは『広辞苑』や『大辞林』といった名だたる辞書にも記載されているんですワ! つまり、加門先生のでっちあげ(失礼!)や駄法螺(失礼!!)ではないってこと。そういう事例が辞書にも載るほど有名なものとして存在するんだ、とわたしはここで驚いてしまった。

///鹿角の友人とその仲間がアホっぽくて、お前らみたいなアホは祟られてしまえ、と思えるところが救い(?)かな。善良なひとたちが酷い目に遭ってしまうと後味悪くなってしまうからね。 心霊スポットに興味半分で出かけるひとは多いので、それはまだ許せるとしても、神社の境内に唾を吐く男とかお前は隣国人か、みたいな。ただ、若尾木綿子ちゃんという女性だけは、信心深く、かつ常識人。最後は鹿角も木綿子ちゃんのために重い腰をあげる。

///比較的改行が多い文章、かつ240ページ程度のボリュームなので、読むのに難儀はしない。だが、それ以上に、実話と創作のあいだを漂う物語の微妙な味わいが、ページを繰る手を止めさせない。わたしたちの身の回りでこんなことが起き得るのかという関心は、この手の恐怖小説においては一番のスパイスですからね。身につまされるってやつ。

///ちょうど旅行中、寺社仏閣巡りをしている最中に読んだので、わたしのなかではそのことと物語がシンクロする部分もあったかも。まだまだ暑い日がしばらく続きますが、真夏の怪談に本書も加えてみてはいかがでしょうか。

 

祝山 (光文社文庫)

祝山 (光文社文庫)