Just Melancholy

140字の小説をほそぼそと流します。本(ナンデモ)を読むことと旅(京都と外国)に出ることと文章を綴ることが大好きです。

【 本 】知るとは何か? 伝えるとは何か? 現代社会の普遍的テーマを描いた名作-『王とサーカス』

王とサーカス

 

発売されたばかりの本なので、あえて曖昧に書いています。
わかりにくい文章である点は、ご容赦ください。

 

太刀洗万智。新聞社を辞めたばかりの彼女は、ネパールのカトマンズにいた。雑誌社からの依頼で、海外旅行の記事について取材するためだ。投宿した宿の近くに暮らすネパール人の少年をガイドに町のようすを見て回っていた矢先、事態は急変する。ネパールの王族たちが宮殿で皆殺しにされるという事件が持ちあがったのだ。発表される事件の真相に不満を持つひとびとと警察の対立が尖鋭化し、不穏な空気に包まれるカトマンズ市内。

 

太刀洗は、この事件がフリージャーナリストとしての第一歩になるのではないかと気負う。だが、取材早々、知り合った人物が変わり果てた姿となって、空き地で発見される。王族周辺に探りを入れる自分への警告なのかと恐怖する一方で、無関係なひとを取材の犠牲に巻き込んだのではないかと苦悶する彼女。慣れない環境に身をおき、外出禁止令や警察による拘束で取材がはかどらない彼女のまえに事件の真相は明らかになるのか。

 

本作の主人公・太刀洗万智ちゃんは、米澤ファンなら誰もが知る『さよなら妖精』のもうひとりのヒロイン。感情をおもてに出すことが少ない彼女は、刀を洗うという剣呑な苗字の印象とも相まって、とかく冷たく思われがち。でも、マーヤの死を忘れてはいないことが本作からもうかがえますし、『妖精』でだって冷たいのではなく、悲しみをひとり抱え込んでしまう姿が描かれていました。これもまたひとつの情の深さですよね。

 

あらゆる伏線が収束していく点だけを見れば、本作も上々のミステリーです。しかし、帯に記された「わたしはまだ、なにをも知ってはいないのだ。ひとにものを訊く意味も。ひとにものを伝える意味も。」というメッセージの真意に辿りつくとき、みなさんはこの作品が投げかけるミステリーを超えたテーマに唸らされるでしょう。物語の舞台となった2001年よりも、ネットの発達した今だからこそメッセージはより切実な意味を持ちます。

 

2001年で28歳ってことは、万智ちゃん、本年(2015年)御年42歳? いやああぁぁ!!! とか計算しちゃうと結構ショックですよね。そういうバカな話はさておき、本作は、ユーゴスラビアへ帰るマーヤと彼女のあとを追おうとした守谷くん、そんなふたりを通じて描こうとしたテーマの変奏曲になっています。その点、間違いなく『妖精』の正統なる後継作であり、米澤さんの筆力も11年の時を経て、何倍にもアップしています。

 

米澤さんはあとがきで、前作を読まなくても本書を楽しめると書いています。内容的には連続していませんから、それはその通りです。しかし、前作を知ったうえでこの『王とサーカス』を読むと、万智ちゃんの最終章における述懐が、単にこの事件にとどまるものでないことに気付かされます。わたしは、ラストの数行を前作への言及とも受け取りました。彼女が抱え込んだ問いに、わたしたち自身は正解を見つけられるでしょうか。

 

王とサーカス

王とサーカス

 

 

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